2024. 1. 21 産経新聞「話の肖像画」
第2シリーズの撮影エピソード、ウラ話の数々!
〝プロデューサーの狙いが怖かった〟
《昭和55年10月、「金八先生」第2シリーズが始まった》
子供たちは最初からギラギラしていました。
第1シリーズの「たのきんトリオ」がものすごい勢いで駆け上がっていったので、あれに続くんだと。
「アイドルになる」と勝手に決めてる奴がいるんですよね。
私も若かったもんだから「そこじゃないんだ」と言いたかったんでしょうね。
ナチュラルな15歳の少年少女であってほしいという思いを込め、あまりベタベタとかわいがらなかったんです。
第1シリーズで分かったんですが、芝居が下手な子が上手になっていくと、ものすごく焦るんですよね、できる子が。
芝居ができない子の持つナチュラルさが金八が求めているお芝居なんですよ。
器用にやる奴は浮くんですよね。
第2シリーズで傑作だったのは第11回「クソまみれの英雄たち」。
学校のトイレが詰まり、出来の悪い子供6人で修理する話です。
みんな芝居が下手なんです。
でも徹底して鍛えると、技術が上がっていくんです。
アイドルも人気スターも目指さない子たちが伸び伸び」やってるんですよね。
そういうドラマでありたいと思って、やっと叶った作品でした。
その辺から、みんな狙うのをやめ始めました。
台本に書かれた以外に1つか2つアドリブを持っている子が金八先生は好きなんだと。
ナチュラルさがにじみ出てきて、金八先生好みの子たちがゆっくりクラスの主流になっていくんです。
松浦悟役の沖田浩之はすでにアイドルで、取材も彼に集中していました。
ところが悟がキョロキョロしているのが分かっていたんです。
どっち向いていいか分からなくなったんですよね。こっち側に来い、と思ってました。
《当時社会問題化していた校内暴力も取り上げた》
途中から加藤優(まさる) が転校生で登場し、悟と犬猿の仲になります。
悟が足を引っ掛けるんですよね。
優も決して芝居の力量はある方じゃないんですけど、必死だったのかな。
カーッとなって暴れるんです。
そのとき、立ち回りを指示する人が「イスを振り上げたら先生に投げつけろ」って言ったんですよね。
あの野郎、少し外すとかあるのに、マジで投げつけやがって。結構青ざめていました。
優も真剣にやらないとダメなんだというのをどこかで測ったんでしょうね。
見ていた人もびっくりしたと思いますね。
金八は一種のカリスマでしたから。
でも一切認めない、私のカリスマ性なんて。
プロデューサーの狙いが怖かった。
第2シリーズで待っているのは、第1シリーズで作った金八先生を壊そうとする生徒だと。
怖いでしょ?
それから大騒ぎが始まるんです。
よく覚えているのは、優の家を訪ねる場面。
本当に人の住むアパートの前で撮影したんです。
優に学校に出てこないかと言う、割といいシーンで「自分の名前の意味、知ってるか?」と。
「人の悲しみが分かってやれる人間が優(まさ) っている。そういう人間は必ず優しい人間なんだ」と言うんです。
結構張り切っていたんです。
夜に煌々(こうこう) と明かりをつけて撮影していたら、そのアパートに住むお父さんが怒り始めて。
ロケで周りに何百人のガヤがいたんですね。
お父さんがアシスタントディレクターを呼びつけて「なにやってんだ」と。
「金八先生のロケやってるもんで」と言っても、「知らねーよ、んなのー」と絡むんです。
殺気が満ちあふれました。
そのときに助かったんですよ。
中学生ぐらいの娘が出てきて、お父さんに「恥ずかしいからやめて!」って。
「日本中の人が見てるんだよ! その番組を邪魔してなにが楽しいの。
一生懸命作ってんだよ。金八先生を知らない人なんかいないんだよ。
知らないお父さんは恥ずかしいんだよ」って。
お父さん、引っ込みましたね。
(聞き手 酒井充 氏)
〈「…んなのー」、、って表記、下町のおやっさんのしゃべり言葉だなー。
娘さんが出てきて言ってくれてよかった。
ケンカ、暴力沙汰になったら大変だった。
今だったらネットにのって面倒くさいことになってるだろうね。
沖田浩之…確か、竹の子族で有名でしたよね。
どうしたのか、、若くして自殺してしまった。
金八先生、出ていたのにね…〉