2024. 1. 19 産経新聞「話の肖像画」
あるシーンの撮影現場の様子、、
現場の〝熱〟が伝わってきます。
〝中学生のリアル、まるでドキュメンタリー〟
《「3年B組金八先生」の主題歌は海援隊の「贈る言葉」だった》
実は作家の柴田翔の小説「贈る言葉」(昭和41年) のかっぱらいなんです。
贈る言葉という響きがすごく好きで、言葉を花束のようにして相手に贈るイメージがあり、これに乗っかった。
工夫したのは時流に対する批判です。
海援隊は批判精神を持ちながら、自分の人生の何事かを歌に込めていくという作り方でした。
ところがフォークブームが終わると、ニューミュージックが台頭してきた。
辟易したのが「優しさ」ばかり歌うんです。
それを売り物にするのは違うんじゃないかということで、「求めないで優しさなんか 臆病者の言いわけだから」と入れたんです。
向こうっ気というか、センターではなく、センターの他のものを見るというのを歌詞に仕込んだらドラマとリンクし、反応してくれたんでしょうね。
《ドラマが好調なまま昭和55年を迎えた》
笑わないでくださいね。
私、金八先生を見たの、年明けからなんですよ。
金八先生をやるためには金八先生を見ている暇がないんです。
このあたりからプロデューサーたちが本当に遠慮なく作り始め、どんどんシリアスになっていくんです。
受験に追われて余裕のなくなった中学生、受験に落ちてうつむく中学生をリアルに描いていく。
落ちてしょんぼりした子供を励ましながら荒川の土手を歩くんですよ。
そこをグループショットでとらえ、カメラが1人づつ子供に寄っていく。
子供たちが寒そうな顔で歩くんです。
それがドラマに見えなかったんですよ。
画面の中から寒さが伝わるドキュメンタリーのような。
プロデューサーたちの狙いが分かり、ぞっとしました。
なるほどこれが受けているんだなと。
そこからは連続して出来事が起きます。
杉田かおる演じる浅井雪乃のお兄さんが、満々たる自信を持った東大受験生なのですが、落ちて自殺するんです。
そこでディレクターがきついことを言ったんですよね。
「泣きながら演じてほしい」と。
《当時を振り返る武田さんが目に涙を浮かべ始めた》
そのシーンのリハーサルをやらせないんです。
競馬と同じでパドックが開くのを待っているみたいなもんで。
7〜8分の長ぜりふの後で私が泣きながら説教する。
すると子供たちが次々に泣くという設定で、本番1回だけにしたいと。
泣くまでの何回かのリハを繰り返して本番。
4、5台のカメラ回しで一気に撮っていくんです。
子供たちは結構はしゃいでいたんですが、浅井雪乃のお兄さんが死んだという話になって、空気が変わった。
それで「勝手に死んじゃいかんのだぞ。たった一つつまずいたくらいで死ぬような奴は弱虫なんだ!」と言いました。
子供たちは明らかにテンションは上がっていて、泣きたいという感情はあっても、それをどう表現していいかどうかが分からない感じでした。
呆然としているんです。
立ち上がったのは三原じゅん子でした。
あいつ、泣きながらせりふでろれつが回らなかったんです。
それがものすごく生々しいんです。
その横を見たら、走り回ることだけが生きがいのマッチ (近藤真彦) が泣き出したんですよね。
そしたら、みんなブワーッと泣き出した。
「やったー」と思いました。
カットがかかると、演出家が一番大事なシーンを撮っていたカメラの震えがひどいって言うんです。
もう一回頭からできないか、と。
流れで芝居をやっているのに、勘弁してよと思いました。
すると、佐々木さんというカメラのチーフが「いいんだよ」と怒り始めたんです。
「震えなんか見てねえよ、テレビ見ている奴は。それぐらい芝居がよかったんだよ」と。
どうも佐々木さん、泣いていたらしい。
厳しい人なんですが、情が入っちゃって。
結局OKになりました。
(聞き手 酒井充 氏)
〈贈る言葉…〝かっぱらい〟
久々に聞いたな、かっぱらいって言葉。
〝言葉を花束のようにして…〟
次にこの言葉が出てくる、竹田さんのセンス。
田舎者と都会的なロマンチストの落差!
そうでした、三原じゅん子さんも出ていたんですよね。
今では骨のある参院議員 (⓱〜②の写真)
カメラチーフの佐々木さんの怒りの一言、イイネ!!〉