2024. 1. 17 産経新聞「話の肖像画」
金八先生、主役決定までの裏話、エピソード、人との出会い…興味深いです!
〝金八先生出演依頼「名字は坂本にして」〟
《映画「幸福の黄色いハンカチ」で成功すると、テレビドラマの出演依頼が相次いだ》
芝居ができるということが少し業界に知られ、NHKとTBSからレギュラーの仕事が舞い込みました。
TBSは向田邦子さんの「水曜劇場」で、「せい子宙太郎」という森光子さん主演のホームドラマに出たんです (昭和52〜53年放送) 。
そんなときにTBSの新春パーティーがありました。
TBSは女流作家をすごく大事にしていたんです。
向田邦子、橋田壽賀子、小山内美江子。
テレビ界にとって大変な才能の3人です。
そのパーティーに飯を食いに行くと、向田さんが「武田君」と言って、ほかの2人に私を紹介してくれたんですよ。
向田さんは「武田君はすごく頑張る子で映画もすごく良かったんだけど、ちょっと手足が動きすぎるんだよね」って。
そしたら興味深げに私の方をじーっとみていたのが橋田さん。
小山内さんは「へえ、あなた動きすぎるの」と声をかけてくれて。
そのとき、ちょっと言い訳しまして。
実は私、ふるさとの福岡にいるときに聾唖(ろうあ)学校の先生になろうと思っていたので、子供たちに教えるときは手も足も全部使わないとダメで、それで、やたら動くようになっちゃったんですよって。
小山内さんが何げなく「へえそうなの。だったら学校の先生 (役) やればいいじゃん」とおっしゃいました。
よく覚えてるんです。
私は青春のスターと呼ばれるぐらいの人になりたいなっていうのがあったので。
《この出会いが、名物ドラマへの出演につながった》
「せい子宙太郎」には、ディレクターで柳井満という人がいたんです。
この人が本当にやる気がなくて。
普通は3、4回リハーサルをやるんですが、台本の読み合わせ後に軽く打ち合わせをして「はい、本番行きましょう」って。
その柳井さんが横目でじーっと私のことを見ているのは気づいていました。
1年ちょっとたったら、突然その人から電話がありまして。
「ドラマ、一緒にやらないか」って。
どんな脇役かなと思ったら「いや、あなたが主役ですよ」と。
中学校の先生役で、小山内さんと話したら、あなたの顔が浮かんでねって言うんです。
それで小山内さんを交え3人で食事をしました。
小山内さんは中学校教育の詰め込み主義みたいなのを批判したいと言って
「あんた、前に言ってたけど、手足が動くんでしょ。今度は十分に動かしていいよ。教壇に立っているの、あんた一人しかいないから」って。
つづく〜