〜つづき
大学4年、実家のたばこ屋の前で
(右の握り拳が強い決意と意志を感じさせます)
そうしたら泉谷が「一緒に日本中を歩かねえか」と胸が張り裂けそうなことを言うもんで、大学4年の夏から私どもは「江戸への脱藩」の計画を立てるんです。
これで本物の浪人になれるんだと。
アマチュアのままでいいじゃないかという自分がいたのですが、歌を作ることがだんだん面白くなってきていて、本当に西から東へ旅をしながら歌を作ってみたいと思い始めたんです。
《海援隊は一時期5人になったが、大学3年のときに中牟田俊男さん、2歳年下の千葉和臣さんとの3人組になっていた》
そのころ、井上陽水は再び故郷を飛び出し、爆当たりを取り始めていました。
チューリップはヒット曲を出して。
人が足りず東京に若者が流れ込んでいった。
一種、潮の流れですね。
サイコロの出た目勝負みたいな日々になるわけですから、ダメだった場合どうするかということがとても大事で、一番の難物、母親をくどいたんです。
1年だけやらせてもらえないだろうか、と。
日本中、千葉と中牟田と3人で歌を歌って歩きたいと母に言ったんです。
残像としてあるのは、母親がそのとき、縫い物をしていたんですよね。
その母の背中に向かって告白したら、母親がこっちを振り向かないで、背中姿で指1本あげ、「1年だけぞ」って言ったんですよね。
(聞き手 酒井充 氏)
〈この回は、まるで映画を観ているような感覚になりました、、昭和の青春群像劇ですね。
…手をつなぎ「おお牧場はみどり」を歌いながらスキップ…って、、小学生かよっ!
東京へ行くことは「江戸への脱藩」…本物の浪人になれる…って、本当に龍馬ヲタク。
武田さんの〝推しの子〟は、ずっと今もなお坂本龍馬なんですね。
最後のお母さんに告白のくだり、、
〝…背中姿で指1本あげ、「1年だけぞ」〟
名シーンだね!
ここまでの話、立志編としてドラマか映画化したくなります〉