〜つづき



17歳の頃、高校では柔道部に所属し、生徒会長も務めた




昭和40年に高校に入学すると、「ビートルズの波」はさらに拡大した



ビートルズのまねをした人たちが急速に日本で育ち、これがグループサウンズ (GS) を形成していく。

GSがはやり始めたら、今度はカウンターでフォークソングがはやり始めるんですよ。

高校2年生の頃です。

海の向こうでは反戦や人種運動の先頭で歌われ、「へー」なんて思ってましたけど。


私は柔道部で、練習の後にカバンを取りに教室に戻ったら、同じクラスの中牟田っていうのがギターを持ってきていて、もう1人とフォークソングの練習をしているんです。

ピート・シガーの「花はどこへ行った」とか。

なんだか胸がキュンとするんです。



中牟田とは、後に一緒に海援隊を結成する中牟田俊男さんだ



ギターの教則本があってチラチラ見ると、ザ・ワイルド・ワンズの「思い出の渚」でした。

「弾けるか?」と聞いたら、やってくれたんです。

鼻歌を歌っているうちに必死になりました。

私が、です。

2人がハモリを入れてくれるんです。

「君を見つけた〜」っていうと「フーフー」と言いながら。

なんともはや心地よくて。


それで帰ろうかと思ったとき、2人から意外な申し出がありました。

「俺ら文化祭で歌いたいんだ。武田、生徒会長だし体もごついから、ヤジが飛んでみんな聞いてくんないんで、ちょっと押さえ役で俺らの司会をやってくれ」って。

学級委員になると母ちゃんが喜んだんで、高校は少しポストを上げて生徒会長になっていたんです。


そのとき、ずるいこと考えましてね。

「司会役をやってもいいけど、俺にも歌わせてくれって言ったんです。


(聞き手 酒井充 氏)




〈坊主頭の武田さん、、新鮮! 

ずっと長髪のイメージしかないから。

〝いかにも娘という唇の浅丘ルリ子…〟

表現が面白い。

〝Jポップのはしりの坂本九…〟

なるほどね、確かに。

テレビの出現は大きいですよね、

ビートルズも!

やっぱ何を語っても武田さんのは、泥臭い?ユーモアがあって笑ってしまいます〉