2024. 1. 1 産経新聞「話の肖像画」
新年1月は武田鉄矢さん。
BSテレ東の「武田鉄矢の昭和は輝いていた」
10周年記念コンサートに参戦して以来、よりファンになりました。
〝「人生のあとがき」書き終わらない〟
《フォークグループ「海援隊」でデビューし、俳優、映画やドラマの原作、司会、テレビのコメンテーターとマルチの才能を発揮する武田鉄矢さん。4月で75歳となる今年は、今までと少し違う予感がするという》
私は強烈な過去をいくつも持っておりましてね。語りたい思いがあるんです。
本で言うと、人生もぼちぼち最後の「あとがき」かなと思っているんですよ。
ところが、なかなかあとがきが書き終わらない。
わが人生、おそらくバッタリ逝くまで仕事するんだろうなって予感がいっぱいで。
それというのも、ジャンル違いの、ある演歌歌手から「演歌の歌詞、書きませんか?」と言われまして。
1作だけ書いたことがあり、大して評判にもならなかったんですけど、それを聞きつけた別の演歌歌手から「ちょっとこっち側に来ないか…」と。
みんな大御所ばかり、立て続けに。
自分に演歌の才能があるとは思わないんですけど、「演歌のフレーズを持っているフォークシンガーだ」っていうんです。
言われないと気づかないんですよね、人間って。
それが春先から次々と作品になるんじゃないかと思います。
《歌謡曲を紹介するBSテレ東番組「武田鉄矢の歌謡曲は輝いていた」で司会を務める武田さん。さながら「昭和歌謡の伝道師」といった雰囲気を出している》
私は昭和という歴史の中で歌を解釈していく。
その1曲が生まれてきた時代を見つめようということです。
例えば美空ひばりさん。
彼女の人生は敗戦を背負って生きていこうと決意した少女の物語だと思っています。
日本にむごいことをしたアメリカを非難しない。
だから「東京キッド」で、進駐軍からもらったであろう自由とチューインガムをポケットに入れている。
敗北を認める歴史的責任を果たした。
私の父もそうですが、生き残った元兵士も含め、敗北者としてきちんと生きられた。
そういう意味の歌謡曲を見つめ直し、そういう歴史の中に生きている自分とは何か、フォークソングとは何か─という話です。
あの人はやっぱりどこか真剣に日本でしたよね。
私、「目撃」したことがあるんです。
民放の歌番組で海援隊をゲストに呼んでくださったんですよ。
ひばりさんは海援隊の「母に捧げるバラード」が大好きで。
つづく〜