2023. 12. 23 朝日新聞
実質カナダ亡命の周庭 (アグネス・チョウ) さんへのオンラインインタビュー。
経緯、心情など明らかに。
〝香港に戻らぬ 思いは〟
〜危険を感じた出頭
ただ自由でいたい それを奪う国安法〜
──2020年8月に国安法違反の容疑で逮捕され、21年6月に未許可デモ組織などの罪での刑期を終えて釈放。
そもそもカナダ留学がよく実現したなと思いました。
「私も正直そう思いました。
パスポートが没収されたままで、返されたのは9月中旬、カナダのトロントへ行く前日でしたから」
「今年に入り留学を申請したら尋問を受け、活動をもうしないというざんげ書や警察への感謝の手紙を書かされました。
7月、中国・深圳に行くよう言われました」
「私は聞いたんです。『弁護士に言ってもいいですか』と。
でも警察は『誰にも言わないでください』と。
だから誰にも言わずに行きました。
もし口外して警察が知ったら、カナダに行けなくなるんじゃないかと怖かったからです」
「中国の法制度は香港と全く違いますから、香港に戻れない可能性も想像して怖かった。
誰にも言っていないから、何かあっても助けが来ない。本当に恐怖でした」
──深圳で何がありましたか。
「8月の朝、香港の警察署で集合し、車で連れて行かれました。
日帰りで、共産党の功績を展示する改革開放展覧館やテンセント (中国のIT大手) 本社に行きました。
他にもありましたが、政治的だと感じたのはこの2カ所ですね」
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──香港に戻らない、と事前に決めていたのでしょうか。
「全く考えていませんでした。
留学を申請したのは単純に海外に行きたい気持ちからです。
自分が何を学びたいかで、大学院の修士課程を選びました。
香港人にとって留学先といえば米英や豪州、カナダなどの民主主義国です」
「カナダへは日本経由で行こうと思ったのですが、それはダメだと言われ、直行便で行きました」
──到着時の心境は
「この3年間、心の病もありました。
釈放後も3カ月に1回、出頭する必要がありました。
以前から一緒に活動してきた友達とも連絡していませんでした」
「いつか自由になって海外に行けたら、飛行機に乗ったら絶対楽しくて、ほっとするだろう、とよく想像していました。
でも実際にカナダに着いてその瞬間が訪れても、そんな気持ちに全くならなかったんです。
逆に、緊張しました。
3カ月に1回出頭する条件はカナダに行ってからも同じで、12月28日には警察に出頭するため香港に帰らなければならず、プレッシャーを感じていました」
──「香港に帰らない」との決意はどんな気持ちからでしたか。
「危険だと思ったんです。
12月28日に香港に帰ったら、どうなるかわからない。
国安法の下で、香港の政治状況がどんどん厳しくなっています。
またいろいろ尋問されたり、中国に行かされたりする可能性も高い」
「正直、私はもう、やりたくないことをやらされるのが本当に嫌だし、中国に連れて行かれたくもない。
パスポートを没収されてカナダへ戻れなくなる可能性があると考えると、本当に怖かった。
帰るかどうか、公表するかしないか。
ずっと考えていました」
「私はただ自由に生きたい、そして安全に生きたい。だから、自由のために戻らないと決めました。」
「公表しない選択肢もありましたが、ただ帰らずにいたら、以前書かされたざんげ書や警察への感謝の手紙、中国での写真が私の『愛国』の証拠にされてしまうのではないかという心配もありました。
公表した方が安全とも考えました。
私がカナダにいることは両親や弁護士以外知らない。
何かあっても誰もわからないままになる。
世界中や香港の人々にも私の経験を伝えたいとも思いました。
誰にも言わず自分で決めました」
──インスタグラムの発信は2年半ぶり。
釈放当日、黒一色の図柄を投稿して以来です。
「発信すれば逮捕される可能性も高く、何もできませんでした」
「20年に逮捕された時は、急に家に警察が来てベルをめちゃくちゃ鳴らし、鍵を壊して入ってきました。
家中を捜索され、文書や本をいろいろ没収されて恐怖でした。
特に国安法は刑期が長くなるし、簡単に払拭できる罪ではない。
(刑務所から) ずっと出られなかったらどうしようと、とにかく怖かった。
PTSD (心的外傷後ストレス障害) になり、いまだにドアをノックする音が恐いです。
ウーバーイーツを頼んだ時にノックされても怖いので、ノックしないようお願いしています」
つづく〜