
▲当時の職員録
「煕川三笠尋常高等小学校」の名が
=国立国会図書館デジタルコレクション「朝鮮総督府及所属官署職員録 昭和15年」(朝鮮総督府編) から
〜つづき
平安北道は当時、満洲国と国境を隔てる鴨緑江の南側 (※北朝鮮は現在、一部内陸地域を慈江道としている) 。
関係者には失礼ながら、「鄙(ひな) びた地方」と言っていい。
寧辺は北朝鮮の核関連施設の所在地として有名だ。
『昭和十年 平安北道統計年報』によれば、日本人 (内地人) 人口は約2万2千人。
大きな行政単位である「府」は1つ (新義州) だけ。
1月の最高気温は平均で氷点下3・9度 (※最低気温の平均は氷点下13・6度) というから相当に寒い。
鴨緑江を利用した水力発電や鉱業、製材業などが主な産業だった。
日本統治時代に、こうした地につくられた学校数が300校に近いことにまず、驚かされる。
たとえば、小学校 (主に日本人児童が通う) が34校、朝鮮人児童の普通学校が186校 (いずれも11年5月末現在) に及ぶ。
さすがに在校生数は少なかったようだ。
『朝鮮諸学校一覧 昭和14年度』(15年刊、朝鮮総督府学務局編) によれば、煕川三笠小の全児童数は、124人▷寧辺大和小46人▷博川菊水小56人。
『平安北道統計年報』によれば、煕川小学校は、大正7年の創立だ。
問題の校名を、各年の『…職員録』でみれば、昭和12年「煕川尋常高等小学校」→13年「煕川邑上尋常高等小学校」。
そして、14年「煕川三笠尋常高等小学校」となり、16年には「煕川三笠国民学校」と頻繁に変わっている。
なぜ、こうした校名が付けられたのか?
ひとつ〝出来過ぎた?〟同小のOBの推論がある。
煕川三笠小へ、12年に入学した長尾周幸(かねゆき : 5年生まれ) はこう信じていたのである。
あの戦艦「三笠」にちなんで名付けられたのではないか?
煕川三笠小学校の跡地を訪問した長尾さん
=北朝鮮平安北道煕川郡煕川邑
あくまで彼の証言だが、同小の校長室に「Z旗」が飾られていたのを見た記憶があるという。
日本海海戦で三笠のマストに掲げられた、あのZ旗である。
残念ながらこの記憶を裏付ける資料はない。
長尾の下級生のOBにも「この話」を聞いてみたのだが、「覚えてない。もしZ旗があったとしても、レプリカ (複製) ではないか?」という。
現在、三笠が係留されている神奈川県横須賀市の記念艦三笠にも聞いた。
「そんな話は知らない。もとより旗は〝消耗品〟で何枚もあった。当時、戦意高揚のために寄贈されることはあったのだが…」と懐疑的である。
だからこの件は本筋とは関係のない〝伝説〟にとどめておく。
ここで紙幅が尽きた。
〝おじん記者〟(65歳になった) は、「ナゾの校名」については推論めいたものが浮かんだのだが、それは来年に譲ろう。
「漢城師範学校」の授業風景
=国立国会図書館デジタルコレクション「大日本帝国朝鮮写真帖」(明治43年、統監府編) から
=敬称略
〈教育に力を入れていたんだな、とハッキリ分かる。
植民地なんかじゃない!
白人などはこんなに熱心に教育に力入れてるところはない、、むしろ教えない!
動物のように働かせるだけ、、奴隷だ。
自らの国の民にだって教育は貴族とか特権階級だけだ。
だから文盲が多かった。
日本は江戸時代から広く一般の庶民も文字を読めるようにしてきた。
こんなに良心的な国があるか!
このことを広く、世界に発信していくべき。
人にも動物にも植物にも、そして物にも、、
全てのものを大事に大切に接してきた国が日本という国。
今、多くの外国の人たちが日本を訪れてますが、直接来て、見て、触れれば、そのことを感じられるはず。
オーバーツーリズムは問題ですが、本当の日本の姿を理解してもらえるという点ではメリットもあると思います〉


