希望という本を書いたけど、戦後80年の中でいまほど絶望的な時代はないでしょう。
希望という本を書いたけど、戦後80年の中でいまほど絶望的な時代はないでしょう。確かに戦後すぐは辛い時代でしたが、それでも戦争が終わり復興の希望はありました。高度成長期時代はまさに希望の象徴のような時代でした。残念ながら国鉄売却、構造改革、アベノミクスあたりで流れが完全に代わり、庶民から徹底的に貪りながら、売国法律を次々と産み出し外国へバラマキ、外国人が日本人より優遇される時代がやってきました。これで絶望を感じない日本人はさすがにいないのです。なぜ日本人は無関心なのか。どうすればよいかわからず、生活や目先のカネを人質にとられ、一人孤立してなんにも希望がないから。希望は依存的な危うさを含みますが、人間は希望がないと生きていけない生物です。ではなにを希望と感じればよいか、実はそんなに難しい話ではないのです。結局人は集団的であり、数が多くなり変化を実感すると希望を感じます。つながりが増え自分一人ではないんだ、と感じると希望を感じます。そして私は日本人一人一人が誰かにすがるのではなく、皆がそれぞれに日本を愛して動こうとすることに希望をかんじるのです。いま祭りが一つ終わり新たな祭がやってこようとしてますが、これは古き祭りの意味を含むのです。人が集まりエネルギーを作る、もらう、与える。人との縁やつながり、一人ではないんだ、今は少数でもこれから増えていくんだ、そして日本に変化が訪れるんだと感じたときに、希望を実感するのだと思います。皆さんは来年の祭に参加しますか?
#うつみさとる
#うつみさとると国政を考える