【怒りの龍を解放する】これからの日本はどうなるのだろう?
【怒りの龍を解放する】
これからの日本はどうなるのだろう? 再来年に災害が起こるというような話もあるけれど、再来年よりもむしろ来年だ。世界の状況からしても、来年は世界的に大きな変化が起こる年になるはずだ。今年一年だって、これまでだったら想像もできなかったような変化が起きた。不動の地位を占めているはずの米ドルが、BRICS諸国に追いつかれてしまい、グローバルサウスは米ドルから離れ始めた。国際的な舞台でも、西側諸国は信頼を失い、孤立するような事態になっている。
何か大きな変化が起こるという感覚は、多くの人が感じている。一方で、パンデミック条約やディジタル化に、いよいよ完全管理社会が来るのかという不安感もある。日本は、世界は、どちらの方向に変わっていくのだろう?
再来年に津波が来るという予言が、この頃ブームになっていて、そこにも何か意図的な印象操作のキャンペーンのにおいもする。多くの人は、むしろ来年に何かがあると感じていて、再来年はすでに終わって変わっている日本のイメージが見えるような感覚を持っているようだ。いずれにしても、誰かが言ったことを鵜呑みにするのではなくて、皆で未来にアクセスしてみて、どうなるのか見てみようということになった。それで、嫌な未来が見えてくるなら、意識の力で変えてしまえばいいのだ。6次元の領域では、未来も過去も、意識で変えられるようなものなのだから。
それで、音11のカバン(赤い地球)の日に、封印解きクラブの皆で、未来の日本にアクセスしてみた。日本列島の衛星画像を使って、来年2024年の日本がどうなっているのかを、それぞれ見てみることにした。
洪水のようなイメージを見た人も何人かいたけれど、しかしそれは実際の災害というよりも、何か別なものを表すシンボルのようにも思えた。日本中がかき回されて、大変なことになっているけれど、田舎は普通に生活しているようなイメージだったり、一部の人が困っていて、状況はいろいろ変わっているけれど、多くの人はわりと普通に生活しているようなイメージが出てきていた。日本人がこれまでになく肚が据わって、好きなことを自由に言っているイメージが見えたり、古代の森林が蘇っているイメージ、政界財界の人々が、いつの間にかキャストが入れ替わるように別な人に変わっていたイメージを見た人もいた。
私は、来年の日本が「ついにやった!」と喜んでいるイメージが出てきて、何か決定的なことが変化するように思えた。今年の変化が以前には想像もつかなかったように、来年日本でどんな変化があるのかは、今の私たちが、「まさかそんなことが」と思うようなことなのだと思う。それは、戦争でも災害でもなく、単に「気がついてしまうこと」のように思えた。まるで、電気柵があると思って越えようとしなかった柵が、実は電気が通っていなくて、触っても感電しないということがわかってしまうようにだ。それで、少しずつ越えていく人が出始めて、何も起こらないということがわかったら、雪崩のような流れになり、もはや当たり前になってしまうというような。
日本が米ドルを大量に買わされることで支えられていた米ドルの価値がついに暴落して、日本円も巻き添えになるけれど、そのために大衆操作のための資金がもうまわらなくなり、電気柵はあっても、もう電気が入っていない、というような状況になるのかもしれない。ある意味、洪水に飲み込まれたように状況になりはするけれど、そのために日本は本来持っていた生産力を取り戻すことになり、活気づき始めるのかもしれない。
それで、来年の日本がいい方向へ変わっていくのを後押しするために、何ができるだろうと思っていたとき、昨日たまたまチャットで話題になっていた睚眦(ガイシ)という龍の話が出た。ガイシというのは、中国の伝説にある竜生九子といって、龍から生まれた龍との雑種のような存在のうちの一頭で、殺戮と争いを好むという危険な龍だ。しかし、ガイシは鬼瓦のように使われたり、刀の柄に使われたりしていて、つまりは守護の力なのだ。山犬の頭をしていると言われ、狛犬のような存在でもある。自分や家族を守るためには、喜んで外敵を殺しもする。野生動物は、皆この力を持っている。自分や自分の家族を守るためには、殺すことを楽しみさえする力だ。
龍使いたちは、ガイシを使うのは危険だと言っていた。誰かを呪ってガイシを送ったら、本当に人が死んだりするからと。実際、そんな風にガイシを使っていたら、しっぺ返しが来ることはまず間違いない。
ところで、ガイシを安全に使う方法が一つある。「あいつをやっつけろ」ではなくて、「あいつの闇を喰え」と言うのだ。罪を憎んで人を憎まず。これは、自分に対して使って、自分の闇を喰ってもらうこともできる。こういう風にして使っていたら、たとえ返ってきたとしても、自分の中の闇が喰われるだけだということになる。
ガイシは、もののけ姫に出てくる山犬にも似て、相手の喉笛にかみついて一発で致命傷を負わせたりもするような存在なのだと思う。そういう凶暴さも持っている。睚眦(ガイシ)は睨むという意味だというのだけれど、おそらくガイシの本当の力とは、睨むことで戦わずして敵を退散させることなのだと思う。必要ならば殺すことを楽しみもする覚悟で相手を睨んだら、それだけで、敵は手を出してはいけない相手なのを知り、退散するだろう。
このような戦う力を、私たち人間は本来誰でも持っていた。それが封じ込められていったのは、支配とはまさにこの力を弾圧することに他ならないからだ。自由を弾圧し、資源を横取りし、強制的に使役させたら、本来の人間は抵抗する。しかし、抵抗することが極悪非道なことであり、厳罰に処されるべきことだということになると、人々はこの力を手放して、支配されてしまうのだ。日本では、その支配が明治でさらに強くなり、戦後さらに力を奪われたあげく、何をされてもほとんどの人が黙って受け入れるような状態になってしまった。怒りを抑圧するストレスが、まわりにいる弱者に向かい、DVやイジメになって表れている。これは、それだけの力が抑圧されていることを示している。
それで、皆でガイシに日本中の闇を喰わせようということになった。日本中に送る前に、まず自分の闇を喰わせた人も何人かいた。胸のあたりにモヤモヤしていたものが解けて不安が消え、息がよく吸えるように感じた人、白いモフモフした暖かい獣に守られているという、感じたこともないような大きな安心感を感じた人もいた。ガイシとは、ネバーエンディングストーリーのファルコンみたいに、どこまでもついてきてくれる頼もしい相棒でもあるということを感じたようだ。
日本中の闇を喰わせたら、ガイシはどんどん殖えていって、狼の大群のようになって、日本中の森に棲息し始めたようなイメージだった。東京のあたりは、闇に取り憑かれた人が多くて、闇を喰っただけなのに、多くの人が骨も残らないくらいになってしまったようなイメージも出てきた。メディア操作に乗せられて、あれこれに不安を感じ、こうしなきゃああしなきゃと思っていた人たちは、闇を喰われてすっきりして、本来の自分に戻ったかのようだった。
それから最後に、日本中の人たちの中のガイシを解放しようということになった。この力は、本来誰もが持っている力だと思ったからだ。それが長いこと抑圧されてきた。もしそれを解放すれば、日本人は本来の日本人に戻って、もうまわりに合わせようとして、何にでも従ってしまうようにはならないのじゃないかと思った。おそらく抑圧されたガイシは、みぞおちのあたりに封じ込められているだろうから、それが開いて外に出るようなイメージを作ってみることにした。
参加者が、肚が据わった感じのオーラを発し始めた。第3チャクラが解放されて、どっしりと地に足がつき、背筋が伸びて、胸が広がったようだった。まさにこれが、ガイシの力なのだ。自分を守れる、守られるという安心感。来年や再来年に何か恐ろしいことが起こるのかと考えていると、不安感に取り憑かれて、自分軸がずれる。だけど、ちゃんと自分を守る力があるということが感じられて、肚がしっかりすると、何が起ころうと対処することができるし、それを楽しむことさえできるだろう。
日本中のガイシを解放して、何だか本当にこれで日本は大丈夫だと思えた。この先大きな変化が来るだろうけれど、それがどうなっていくのかが、楽しみでさえある。あるいは、これで本当に本来の日本人の力が取り戻されるのかもしれない。日本に再び美しい自然の森が戻り、本来の生産力が戻り、調和を作り出す力が取り戻されて、DVやモラハラがなくなるのかもしれない。たとえ経済が崩壊したとしても、日本人が本来の力を取り戻しさえすれば、ものの数年で美しい日本が再建されるに違いない。それが起こるのは、おそらくは来年のことで、再来年はすでにそのプロセスが終わって、これまでの日本人からは想像もつかないくらい、自由に何でも言えるようになっているのかもしれない。
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画像は
セッションで使った日本列島の衛星画像
睚眦の図