【次元の扉を開く ー 時間軸の平面思考 未来】 | ♡meme_gon.♡のblog

【次元の扉を開く ー 時間軸の平面思考 未来】



【次元の扉を開く ー 時間軸の平面思考 未来】

公開セミナー【次元移動の魔法】の第3回は、未来の時間軸を直線から平面にすることがテーマだった。

私たちはこれまで、4次元の現実認識で生きてきたわけだけれど、4次元では時間軸は一本だけなので、時間は直線的に動いていくように思える。過去から現在へ、現在から未来へと、まるで一本の道を通っていくかのように見えているわけだ。だけど、ここにもう一本時間軸が加わると、時間は直線ではなく、平面的になる。つまり、数直線ではなく、X軸とY軸でできている平面になる。

こうなったとき、時間というものは、実は一直線上を進んでいるのではなく、無限の広がりがあることがわかる。過去も無数にあれば、現在も無数にあり、未来も無数にあることになる。すると、直線的な時間軸で考えたときには、絶対に不可能だと思えるようなことが、何でもなく可能になってしまうのだ。それは、直線的に見た場合には、目の前に壁が立ちふさがっているように見えても、平面的に見たら壁は目の前にしかないということが難なくわかってしまうのと同じことだ。だから、4次元の意識で現実を見ている人にとっては、5次元の意識で生きている人は、まるで魔法が使っているかのように思えるかもしれない。しかし、5次元の意識で現実を見ている人にとっては、4次元の意識で生きている人は、右も左も開いている壁の前から動かないでいるようにしか見えないわけだ。

第2回のセミナーでは、過去の時間軸を平面にして、過去が自在に変えられるのを皆で経験したのだけれど、第3回のセミナーでは、未来の時間軸を直線から平面にするのをやった。

私たちはこれまで、こういう過去があるから現在はこうで、現在がこうだから、未来もこうなるだろうというように、未来というものが過去と現在から必然的に決まっているように思ってきた。だから、「このままだと未来はこうなるんじゃないか?」とか「もしこうなってしまったらどうしよう?」とか「もしこうならなかったらどうしよう?」とかいつも未来に対する不安を持ちながら生きることになっている。たとえば、「もし志望の大学に入れなかったらどうしよう?」とか「もし年金がもらえなかったら、老後はどうなる?」とか、あるいは「もしグレートリセットが来たら大変だ」とか、そういう風に未来を考えるとき、未来は一本しかない道の先にあるように思えている。これが、5次元になると、道が一本しかないのではなく、360度すべてが開いていることになる。すべてが開いているのにもかかわらず、目の前の一本の道だけが現実的に存在しているように思い込んでいるのが、4次元の時間感覚だということになる。

それで、「未来がもしこうなったらどうしよう?」とか「未来がもしこうならなかったらどうしよう?」と思っていることを参加者に挙げてもらい、それを皆でどれだけの可能性が他にあるかを考えてみることにした。すると、日本でこれから施行されようとしているインボイス制度が来たら困る、というのと、ワクチンパスが導入されたら嫌だ、というのが出てきた。

未来を直線から平面にしたときに、未来は網戸の網目のように無数にあることがわかる。私たちが直線の時間軸で見えている未来とは、そこに一本の紐を通して、その紐だけが未来の可能性だと思っているようなものなのだ。それで、インボイス制度が施行される未来を網戸に通した一本の紐のように考えて、他の可能性がそのまわりに網目のように無限に広がっているのをイメージをするのを皆でやった。そして、どんな未来が見えてくるかを言ってもらうことにした。

すると、311のあとからお金を稼がない生活に変えてこれまでやってきたという人が、お金を稼がないと生きていけないと思うのをやめればいいのだ、と言った。たしかに、お金がなければ生きていけないというのも、実は直線的な時間認識で見えている現実にすぎない。311のあとで、これまでのように普通にお金を稼ぐ生活をやめてしまった人は少なくないけれど、ほとんどの人は、それで生きていけている。実はお金を稼がなくても、必要なものは、だいたいちゃんとどこからかやってくるようになっているのだ。それは、食糧危機が来るかもしれないと思っていると、野草が食べられることに気づくというのとも似ている。お金にこだわるのをやめると、実はすべて差し出されていたことがわかってしまうのだ。それは、野草や古物みたいに、物質的に存在しているものであることもあれば、不思議な引き寄せだとかシンクロみたいなことだったりもする。こうしたことは、どういう理由でであれ、お金を稼がない生活をしたことがある人は、誰でも経験していることだ。

お金を稼がなければ、税金を払う必要もないわけで、だからインボイス制度が来ても困ることはない。インボイス制度に切り換えたくないので、事業登録をやめたと言った人もいた。結局、従わない人が多ければ、システムは機能しないわけで、事業登録するのをやめて、そもそもお金を稼ぐ生活をやめてしまう人が増えたら、このシステムは破綻することになるのだろう。オーストリアでは、ワクチンパスがワクチン義務化まで行った国なのだけれど、それでも従わない人が多かったので、結局、違反者を検挙するところまで行かないままに、法律そのものが撤廃されてしまった。だから、「義務化してしまうのだから、しかたがない」と思い込んだ人だけが、そのような現実に自分から飛び込んでしまっただけだったということになる。

パンデミックのことでもまったく同様で、ウィルスに感染して死ぬかもしれない、と思い込んだ人たちは、まるで未来が一本の道でそこへ進んでいるかのように、自分から病気になるような現実を作り出してしまったわけだ。このように、未来がまるでたった一つしかなくて、そこへ必然的に繋がっているのだと思い込ませると、その人は自分からその通りの現実を作り出し始めてしまう。誰かに呪いをかけるというのは、実はこの原理を使っている。未来にたった一つの選択肢しかないように思わせることで、人を思い通りに操作することができてしまうのだ。実際、メディアを使ってそうした心理操作で人を操作しようとしていたということもわかっている。

しかし私たちは、危機に直面すると、そのたった一本しかないように思える道から飛び降りるという選択にも意識が向くようになる。311のあとで都市を離れて、お金を稼ぐ生活をやめてしまった人も少なくなかったようにだ。プランデミックが始まってからは、医療機関を使うのをやめて、自己治癒力を信頼するとか、自然免疫を鍛える方へ向かった人も多い。抗議活動をしていて、仕事から干されてしまった人たちは、寄付金だけでやっていく生活に変えていった。すると、お金は利益を追求するから入ってくるのではなくて、人のために仕事をしてさえいれば、入ってくるという風に変わってしまう。実際、こうした人たちは、お金よりも愛に生きることを選んだからこそ、仕事を干されてしまったわけなのだけれど、そうなると、愛が豊かさになるという原理で、現実に生きることになる。すると、そうした生き方こそは、お金があるなしと関係なく、何よりも満たされて幸せに生きられるということがわかってしまう。

こうした経験をすると、実は今まで私たちは、たった一つの可能性しかないかのように思わされていただけだったということに気づいてしまう。だから、まさにこうした危機によって、私たちは4次元から5次元へと次元シフトしていっていたのだとも言えるわけだ。

それから、参加者それぞれが、自分が不安に思っている未来を一本の道の先に見ている自分を想像して、それを上から見てみるイメージワークをやることにした。地上にいる自分は、一本の道だけを前にしているように思えているけれど、これを上から見たら、実は360度いくらでも他に道があることがわかる。それで、一本の道しかないと思っている地上の自分に、「可能性は他に無数にあるんだよ。だから、好きにしていいんだよ」と言って、自分がどういう未来へ向かっていくかを見てみることにした。

すると、水瓶をもらうことにしたのだけれど、水瓶が来たらそこから幽霊が出るような気がすると言っていた人は、水瓶が来たら、それは幽霊ではなくて水の神だったことがわかり、豊かな水がいくらでも湧いてくるようになる未来が出てきたと言っていた。

移住したいと思ってあれこれ見ているのに、ちっとも決まらないと言っていた人は、すべての可能性があると思って歩いていったら、同じところにいた、と言っていた。あれこれやっているのに、どれもこれもうまく行かないというときは、違うところに本当の自分の行く先があるということもある。その場合は、不思議とすべての目論見が失敗に終わることになっている。私は、陶芸でお金を稼ごうとしていた頃、同じような体験をした。あれこれ試すことが、不思議なくらいことごとくつぶれていったのだ。今から思えば、確かにそれが私がこの地上でやろうとしていたことではなかったのがわかるから、あの時うまく行かなくてよかったのだと思える。

うまく行かないからこそ、私たちはこれまでやらなかったような、まったく現実でなさそうなことをやってみようという気にもなるのだ。時代の転換期に生きている私たちは、これまでの常識を外れていく生き方へシフトすることを選んできているとも言えるわけなので、普通のやり方がどうにもできないような事態に追い込まれるときには、何かしら思ってもみなかったような可能性に開かれているということもある。

核戦争が起こるのが恐いと言っていた人は、そういう未来は出てこなくて、ただガイヤさまの存在を感じ、祝福されている感覚がしたと言っていた。第三次世界大戦が来るとか、核戦争になるとか、完全管理社会が来るとか、いろいろと恐ろしいことが言われているのだけれど、それが直線上の時間軸の先にあると思うのをやめると、そういう未来が来るようには思えなかったりする。あるいは、そういう恐ろしい未来が来るというのは、人々をそういう未来へ向かっている直線的な時間軸にはめ込もうとして言っているだけなのかもしれない。つまり、人々を集合的に呪いにかけて、そういう未来を自分から作り出すようにしてしまおうとしているのだ。

その状況を上から見てみると、ただそういう未来が来ると思い込まされた人だけが、一直線にそういう暗黒の現実を作り出しながら生きていて、他の世界中の人々は、それぞれに別な道を進んでいることがわかる。あるいは核戦争みたいなことも起こるのかもしれないけれど、それもそういう現実を作り出している人だけが、そこで犠牲になっているようだ。世界で何が起ころうと、犠牲になる人もいれば、それとは関係なく生きていく人もいる。実はそんな風に、同じ世界に生きていながら、すべての人に同じ現実が来るわけではないのかもしれない。結局、それぞれに作り出している現実が違っていて、生きている世界が違う。そういうものなのかもしれない。

それで最後に、世界中の人々の時間軸が直線から平面に変わるというのをイメージしてみることにした。この瞑想を始めたとたんに、次元が集合意識的に開いていくのが、かなりパワフルに感じられた。その瞑想には、ズームだけでも50人くらいの人が参加していたけれど、人々の意識の波動が大きく共鳴すると、次元が開いたような感覚が、波動としてかなりはっきりと感じられる。何人かの人は、世界が網目のようにあるだけではなく、一つ一つの網目に一つの世界が入っていたというような、立体的なイメージを見ていた。網目ではなくて、中心から放射状に広がっている球のようなものが見えたと言っていた人もいた。表面的に見たら、人それぞれ違う方向へ向かっているようだけれど、中心のところは同じで、それぞれ幸せを望んでいるだけなのだということがわかったそうだ。だから、どっちへ向かっているかではなくて、中心のところを見れば、誰とでも共振できるのだと思ったと言っていた。

参加者の表情が、とたんに落ち着いてどっしりした感じになっているのがわかった。直線的な時間軸に生きていると、私たちは、この先どうなるのか、そのためにこれをしなければ、とつねに不安を感じながら、浮足立って生きている。ところが、時間軸が平面になって、実はあらゆる可能性に開かれていることがわかると、何も焦って人を出し抜こうとしなくても、自然に調和していけるのが、体感としてわかってしまうのだ。それぞれに十分に空間が開けているのだから、何も争う必要などないことがわかってしまう。そうなると、それぞれのあり方を尊重して調和していく、ということが、ごく当たり前にできてしまうようになるのだと思う。

ちょうど前日が7月26日で、マヤ暦の新年だったのだけれど、そこで世界が新しい次元にシフトしたような感覚がしていた。そして翌日の今日、折しもサンクトペテルブルクでは、ロシア・アフリカ・サミットが開催されていて、ほとんどのアフリカの国の代表団が集まっていた。それはこれまでのどのサミットとも違っていて、本当にそれぞれの国のあり方が認められ、対等な立場で協力し合おうとしているのが感じられる。多極化世界とは、つまりはこのように、直線的な基準で争い合うのではなくて、それぞれのあり方でやっていって、それで調和できるという信頼をベースにしているのだ。そうした国際関係が、すでにできているのが感じられた。

まさにその同じ日に、次元移動のセミナーで、世界中の人々の時間軸を直線から平面に変えるイメージワークをやったのは、偶然ではないのだろう。それは、昨日から始まったマヤの新しい年が、多極的な調和へ向かっていくことを、示しているように思えた。

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「物理学での5次元」と検索したら、出てきた画像。網目の一つ一つに別々な世界がある。