「夢の中へ」 | ♡meme_gon.♡のblog

「夢の中へ」



「夢の中へ」

「探し物は何ですか? 見つけにくいものですか?」

探し物をする。そんな夢をよく見る。

現状に満足していない暗示。夢判断ならそうなのだろう。

現実はどうか。ルーチンワークになってきた現状を憂いているのか。

子どもの頃、デパートで母を見失ったことがある。鮮明に覚えている。泣きじゃくっていた。

母を見つけた時、母と姉は笑っていた。僕の不安をよそに笑っていた。多分不満だったのだと思う。泣くのをやめなかった。

母はいつも働いていたし、いつも入院していた。父は夜勤と出張が多く、親の愛情を探していた。

都会に出て、音沙汰のなくなった僕を、母はじっと待っていた。心の中では僕をずっと探していたのだろう。

ある意味、僕の母への仕返しだったのかもしれない。

僕は母が好きだった。そばにいるときはずっとしがみついていた。母も僕を愛していた。

しかし、経済社会と医療社会はそれを寸断した。

僕は今になって、経済社会と医療社会に背を向け、復讐を企んでいる。母と僕を引き離した社会に対して。

探し物は何ですか。

母が末期癌で緩和ケアに入った時、僕は仕事があると言って病院を離れた。

母は号泣していた。

最後まで母は、僕を探す人生だったのかもしれない。

確かに現状には不満だらけだ。活動を続けていても、まだまだ不満だらけだ。今のやり方ではダメだと思うし、世の中が変わってきたという実感は微塵もない。

誰のために僕は活動しているのだろうか。

化学物質を一切使わずに農業に取り組み、遺伝子組換えに反対して全国を行脚し、無添加のパン屋を開き、そして無肥料栽培を広げる活動に勤しむ。

だが、僕の心は一向に満たされない。

探し物は何ですか。

最近になってようやく分かってきたことがある。人は他人ために活動しても、自分の暮らしが整わないと、人生に満足することはないということ。

自己犠牲と言えば言葉は綺麗だ。しかし、結局、不満は心から消え去らない。

今、人生に不満を持つ人がこれを読んでいるのなら、ぜひ理解して欲しい。

貴方は自己犠牲という人生を歩んでいるのだということを。

貴方は人が良すぎるのだろう。自己を犠牲にしてでも、家族や友人や仕事仲間を守ろうとしている。

それはそれで美しいことだ。だから否定はしない。

しかし、そのままでは探し物はずっと見つからない。

まずは自分を優先するべきである。自分がやりたいこと、生き方をもう一度考え直して、もっと自分に素直に生きていくべきなのである。

僕の探しているものは、自分の人生である。

今、ようやくそれが分かった。

探し物は、夢の中にあるのではなく、目の前の現実の中にある。