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◇マトメノフミ◇

世も末(節目)となりました。死後に後悔する方が少しでも減るように、私なりにお手伝いをさせていただきます。


神之公園さんのブログ・第××章 Xデー 最後の審判・世の大立替・天の岩戸開けは本当にあるのか?  その8より。

第××項 魂を磨くは、創造神と他の神霊達とではとらえ方が違う


優れた霊能者は【この世は魂の修業場】と言います


これは、私達の魂は本来は別の世界に存在していて、この世には「魂の修行」の為に来ている説です。で、この世での命を終えたら霊界に帰るです。

厳しい方だと、【この世は魂の刑務所・流刑地】とまで言われます。確かに、人が輪廻転生でこの世に来るのは、自分の魂に欠点があり「更生」の余地があるからです。更生の為に「甦り(黄泉帰り)」をします。


黄泉(よみ)の国(地下)に墜ちた魂は

魂の更生の為に、後世の世に甦(更生)り


スピリチュアル等では、自分は何万回も生まれ代わったと誇らしげに言う方が見受けられますが、ならば貴方は「失格者」と言えるのです。お釈迦様は自分は二度とこの世には生まれ出ないと言われ、その後継者として弥勒菩薩を言われたとされておりますが、弥勒菩薩と呼ばれる存在が仏教に取り入れられたのはお釈迦様の死後のことであることは現在の学問では解っています。

私は大本教神諭予告【九つ花】を紐解いて、それが【みろくと五六億七千万】を秘めていることに気がついて、歴史的あり得ないことがまるで本当にあったかのように作為されたのは【祇園精舎の御守護神】の【牛頭天王】によるものだと解って来ました。


祇園精舎の御守護神は牛頭天王 大本教は節分の炒り豆の【牛虎】金神


お釈迦様やイエスなどは通常の神々よりも高い霊界の存在で、人類に教えをする為に出られた存在で「黄泉帰り」の存在とはしませんが、一般的に霊能者として霊力が非常に強い方にはこの「黄泉帰り」の方が多いと言えます。

お釈迦様やイエスが、自分は神霊が見えるとか会話出来ると誇ったでしょうか?。霊的なことではなく、【人としての在り方】を説いて来られたのです


宗教とは、人の胸(宗)に存在するものを教える


大本教の出口王仁三郎聖師は【この世は天人の苗床】と述べておられます。日本神道では人民のことを【青人草】と言います。人類は創造神から見れば如何なる青人草で何の苗?。


日本では人は【米】の苗

西洋では人は【麦】の苗


この世で【魂の更生が出来れば】天人界にと入ります。どの説も間違いではないのです。どの説も当たってはいるのです。



私が子供の頃に私に臨んだ旧約聖書の神と名乗る声は、【そなたの前世は悲劇の武将であった。そなたはあまりにも人が良くて人を疑わず、他人の「魂胆」を見抜くことが出来ずに、そうした者達にいいように利用されて最終的には悲劇の主となった。そなたの今世における修業は他人の「魂胆」を見抜く為の修業である】と告げられました。

それある意味悲しいことです。人を疑わず暮らせるならばそれが一番です。しかし、それは天人界でも行けば誰も疑わなくてもすみますが、この世は天人世界ではなく「魂の修学」の場であり、天人世界に届かない魂が輪廻転生で修行を続け、また地獄界から赦されて出て来ていても、その魂の元来の性質が何度生まれ代わっても更生されずに、他人を妬み恨み、おかしなプライドばかりを持ち、一向に自分自身を見直そうとしない人(魂)達かがいます。


私は【捻れた魂】の存在を見ましたが、捻れた魂とは【魂の汚れではなく、おかしなおかしなプライド、自信過剰】等がその魂を捻らせます。前世からの因果では無く、今生の【今の心】が魂を捻らせるのです。それを知るにはその人の【魂胆】を見るとなります。



私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、【人は死んでは生まれ出て来る。生まれて死んで、生まれて死んでの繰り返しである。人が自分の前世を覚えていないのは、前世の失敗を引きずらない為であり、この神の恩寵(神の慈愛)である。過去の自分が神霊として祀られていることを知らずに、その神霊を崇めて祀ることもある】と言われます。

そして、人がこの世に出て来るのは、魂の世界からすると【修学旅行】に来ているようなものである。その修学先で「何を学んで」で霊界に帰って来るか?。この世に出て、何も学ばずに霊界に帰って来るであれば、何の為に「この世」に出たのかとなると言われます。


が、人の前世はまったく出て来ないのかとなりますと見える場合も存在しました。但し、霊能者で人の前世が全て言い当てられるかとなった時、それはかなり「嘘」があると言わざるえません。一つに、人には他の霊の憑依があります。この霊の憑依を見抜けずに、その憑依霊をその人の前世にしてしまわれる霊能者の方も多々見られます。また、他の霊の意識の流入も前世と間違われる一つです。どれほど評判の霊能者でも、全て当たっているとは言えないのです。


私は自分の前世が長く解りませんでしたが、その前世を知ることが出来ました。だが、霊能者でそれを言い当てられた方は未だ存在はしていません。私にそれが解ったのは自分の【正守護神】が出て来たからです。

私は霊能者をしていませんので、人の前世に関しては解りませんが、必要があると思われた時だけ、私の守護神からその方の前世を見せて貰えるがありました。ただ、むやみに見せるのではなくて、その前世に犯した罪により起きている重大な【カルマ】があった場合だけです。

人は自己の【前世】を調べる必要はありません。何故ならば今の貴方は【過去の前世】を全て引き継いでいるからです。その前世で犯した罪は全て【カルマ】で存在し、今の世でその【カルマ】を消しているからです。

大切なことは、今の世で将来に残す【悪しきカルマ】の種を残す行為はしてはいけないのです。



この世は【魂の修学の場】で、死後は霊界に帰る

魂の本籍は霊界なれども、この世は魂の旅の宿泊所


仮に貴方の魂の本籍が第3天国界で、目指すのが第2天国界であれば、この世に出てその修学の結果で上の界にと進めるなのです。それはこの世が魂の修学の場であり、その【修学の結果】だからです。だが、その旅先で何かを起こしてしまいますと、地獄界にも落とされるのです。修学の落第です。

されど、地獄に墜ちた魂も永遠に地獄界ではなく、この世に出して「魂の更生」をすることによって、天国界の門も開くなのです。為に「地獄界」もあり、地獄界など無いと言うのは見聞不足と言えます。だが、これまでは【永遠の地獄界】は存在しなかったのです。

最後の審判以後に、【永遠の地獄界】が起きて来るのです。現状の地獄界は「輪廻転生」のチャンスがあるなのです。


正神界は、魂を磨く為に【この世での修学】を語り

邪神界は、魂を磨く為の【この世での修学】をさせないようにする


日本神道には審神(サニワ)と呼ばれるものがあります。この審神(サニワ)をする為には、あらゆる知識が必要です。そうでないと、邪神が邪神であることを見破れません。その為に、邪神はその神が見せる世界、語る世界だけが絶対的世界だと思わせる必要があり、他から別の知識を得ることを非常に嫌うのです。自分達が見せる物以外は、【見ざる、言わざる、聞かざる】をさせるのです。

自分の魂を磨くとは、古来から先人訓として言われて来たことです。スピリチュアルを標榜する女性の中には「魂磨きは辛いから止めましょう」の言葉が出て来ます。この手の女性は元々魔女系で魔界からこの世に赦されて出て来たような魂が多いので、どうしても魂を磨くことよりも魔女的な奇跡力に目が行きます。

そうした魂の持ち主が帰って行く霊界とは魔界なので、自分の魂を磨いて【高天原(天人界)】を目指されているわけではないと言えるでしょう。