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◇マトメノフミ◇

世も末(節目)となりました。死後に後悔する方が少しでも減るように、私なりにお手伝いをさせていただきます。


神之公園さんのブログ・第××章 Xデー 最後の審判・世の大立替・天の岩戸開けは本当にあるのか?  その8より。

第××項 魂を磨くは、創造神と他の神霊達とではとらえ方が違う


一方、霊的修業に修業を重ねて行くのが【神仙界】とされています。まさに、神の様な仙人達の世界です。一般に天人達が住む【高天原】よりも、神仙界は高い世界とされます。

しかし、豊受姫の御代をされていた私の最初の師匠は、【神仙界】には行かないようにと注意を受けました。一度神仙界に入ると、モウ二度と高天原には戻れなくなるからと告げられました。

霊界に帰ってからも、まだ修行に修行を続けている神仙界では、仲間達との楽しく語らい暮らす世界ではないからです。何事も自分が一番と競う世界ですから、為に終わりがない修業に日々明け暮れるなのです。そんな世界が理想郷かなのです。


神仙界は高天原よりも上でも、修行に修行の孤独の世界


私が説いているのは「天人界」に進む為の道です。


聖書で【神の御国】とされる世界は別名【分かちの国】と言います。住民同士で何物もかも分かち合う精神世界で、【実に穏やかで平安の心の世界】と言えます。その世界の【宝】とは、住民の一人一人の心であり、各自が【良心】を【心の宝】として備えているのです。博愛の精神はその良心の中に含まれます。別物ではありません。

一方、金銀財宝で輝いている宮殿があるような世界も存在します。しかし、その入り口には大きな蛇が陣取り、俺達の宝玉を持って行くなと威嚇して来ます。金銀財宝に目が眩むよう人は、その世界を目指せばいいのです。金銀財宝に囲まれていても孤独な世界がいいのであれば、そうした世界もあるということです。


国常立尊様は元は創造神でありながら、反国常立尊派から「邪神」の汚名を着せられて表舞台から退かざる得なかった神とされます。そして【鬼門の金神】と呼ばれて来たです。

しかし、この仕組は道理で考えればかなりおかしいのです。今の世に出ておられる神々は若い神霊達で、超太古の国常立尊との接点があるのかとなります。今の世は【神代七代】とされる世です。だが、国常立尊の名が出て来るのは【神代初代】です。


鬼門の金神は、創造神の作為か?


私達の半永遠の命である【魂】は【鬼が云う】となっています。一部の人達は魂は永遠だと叫ばれますが、現実には魂も腐ったり捻れたりしている魂が存在し来ます。腐った魂は仏教系では【ダキニ天】に食されるとなっています。元に戻すことが出来ないほどの捻れた魂は、霊能者の間では破砕されるとします。

私の最初の師匠は豊受姫の御代さんでしたが、私に【鬼門の艮金神】など存在していない。見たこともない。人が勝手に作り上げたものと言います。つまり、豊受姫はそう言っておられるとなります。その師匠自身は子供の頃、大本教の少年少女体に所属しており、出口王仁三郎聖師を見たことがある方でした。


私はそれを聞いた時、鬼門の金神とは「陰陽道」が作り上げたものなのですが、大本教では鬼門の【艮(ウシトラ)金神・国常立尊】と大宣伝して来ました。これは【国常立尊】その方が創り上げた神の舞台の仕組だと断定が出来ました。その答えは、腐った人の魂を食べるとされるダキニ天の存在にあるのです。


私は子供の頃、旧約聖書の神と名乗る声から次のようなことを告げられました。【この神が見せる神の芝居の筋書きは、この私以外の神達は知らない。また、神の舞台に上がらせるそなた達役者もその筋書きを知らない。そなたはそうした舞台の筋書きを知らずに最終幕まで演じなければならない。舞台の幕が降りた時、この私の神の舞台の筋書きは神々にも人民にも解る。その時、神々も人民もこの私が演出した舞台に大拍手となるであろう】と言われます。


その舞台は、ダキニ天が本当は誰なのかが解らないと、この答えは出せません。そしてそのヒントは大本教霊界物語の大江山の【鬼獄】稲荷にあるのですが、おそらくそのことは私以外の方には紐解けない仕組だったと言えます。

大本教霊界物語に、【国常立尊様の世の大立替に、白狐は下郎(稲荷)の役で奉仕する】があります。私は最初、これは伏見稲荷山の白狐達のことかと思っておりましたが、豊受姫は伏見稲荷山の稲荷神の半分は反国常立尊派だと言われます。するとそれは伏見稲荷山の白狐達ではないなのです。大本教霊界物語を読まないと、解らないようになっているのです。


これは国常立尊の壮大な構想の下に練り上げられた仕組と言えます。


世に出ておられる神々の魂を磨くは、魂の表面に付着する【チリやホコリの類いを祓う】ことだと思っておられる節があります。で、この神の元に参拝して来れば、そのチリやホコリを祓って進ぜようです。日本神道で使用する【大麻(祓串)】がそれです。皆さんが神社で受ける祓いの儀式です。


魂の表面に付着するチリやホコリを祓えば、磨かれた魂???


実に異な言葉です。面白いのですが、私は神社の神主ではなくて霊界の神主から祓串の修祓をいろいろと受けて来ました。特に霊界の伊勢神宮においては、私の魂が宇治橋に飛んで橋の上で正座をして、霊界の伊勢神宮の神主姿の霊から同じ時間に一週間に渡り祓串による修祓を受けました。その後に万体にも及ぶであろう絢爛豪華な大神霊行列を見せて貰いました。実にきらびやかなものでしたが、私に伊勢神宮の威力を見せる為だったのでしょう。

単に自分の前に伊勢神宮の天照大御神が出て来られたではないのです。大神霊行列を伴っていたのです。


私の2番目の師匠の御祭神は「国常立尊」と称しておられました。私は最初は別に疑ってはいなかったのですが、いくら表舞台から退かれたとされる国常立尊様であっても、その部下霊があまりにも少ないなのです。何万体とか何十万体とまでは言いませんが、主立った幹部でも何十体何百体と並んで出て来ないのではおかしいと疑いを持ちました。

私が鍾馗神の御案内で盤古大神に拝謁した時、数千霊に及ぶ将軍霊達。そして宮殿の外には何万という兵士霊が見えたからです。それに引き替え、自称創造神と名乗る方達の背後は数十体とか数百体程度です。それでは本物ではないとなります。


魂の表面にチリやホコリの汚れがこびりつくと、その表面には【毛物】が出て来ます。そうなると、魂の【獣】化が起きる可能性が強くなります。それをさせなければ魂の表面は汚れません。しかし、それをもって美しい玉・磨かれた玉ではないのです。


魂の表面をいくら磨いても、魂の中味が腐っていたり汚れていれば、どうやって磨くのですか?。
魂は鉱物ではなくて、中味は生ものなのです。 だから、魂が腐るも起きるのです。


魂の表面に汚れがつかないと、【素直】な玉とはなります。

しかし、素直は神を疑わないので邪神に簡単に欺されるなのです。特にプライドが高い人ほどやられてしまいます。プライドそのものが「ホコリ」の類いなのです。


魂を磨くとは、この世は魂の修学の場であり、修学なのです

人はこの世の修学において、本当の【善悪】の意味を学ぶ

この世の多くの人と交わって、多くの人の思いを知ることなのです


私は魂に点数が出るのを見て来ました。それは私以外にもそうした現象を見てこられた方はありました。

単に魂に汚れがないのは【プラマイ0】であって、それ以下でもそれ以上でもないのです。神社に参拝したからと言って、魂の点数は上がりません。例え、神社に参拝していなくても、世の為人の為にと働いて来た人の魂とは磨かれていて逆に高得点が出るのです。天国上界行きはそうした人達に多いのです。

それはこの世は魂の修学の場であり、よく【修学】を治めたからです。だから、世の為に人の為に尽くした方は死後に第2天国界等に進む様な人が出て来ます。菩薩クラスの天人となるのです。さすがに第1天国界ともなると、如来界なので知識が必要となるので勉学しないと難しくはなります。

生前は、なまじ神様神様とやっていた方は、死後の霊界でそれほど高い世界には行けません。単に神霊に告げられたことだけを素直に信じて何も考えようとはしなかった。自分の思考能力を発揮しなかったからです。


この世は天人界からも地獄界からの魂も混じって暮らしますので、魂の学びの場としては最高の場所なのです。善人は悪人達から悪を学び、悪人は善人達から善を学ぶを得るのです。


私は常に泥を被ったことがないエンジェル等は使い物にならないと言います。魂の表面が汚れていないだけでは、そうした泥を被ったことがないエンジェルと同じなのです。それでは箱入り息子、箱入り娘で終わってしまうのです。親元(神の園)を離れて、私達が学ばなければいけなかったことは何かなのです。

人はこの世の「艱難辛苦」を体験することで、その魂に【色】が出ます。その色によって、魂が放つ光がいろんな模様を写し出します。そうした魂の美しい物を神界は【瑠璃玉】と呼びます。但し、これは石の「ラピスラズリ」のことではありません。


本当の神界は人の心が「宝玉」であって、鉱物の石で着飾るではないからです