仕事の休憩中に新聞を読んでいたらこんな記事が載っていた。学校指定の革靴を履いている学生に外反母趾が急増している。医師に相談したら「靴を変えれば治る」と言われたので学校側にその旨を伝えたところ、「校則で決まっているから無理」と拒否された、という記事である。
正直なところ、意味が解らない。
学校指定の靴を履きたくないから言っているのではない。病気の治療の為の発言である。
それなのに、「その程度のことは我慢しろ」と言われた人間もいるらしい。
ちなみに、私の経験ではそういう発言をする教師はサンダル履きであることが多い。
日本ではこういう光景は日常茶飯事だ。
営業マン時代、一日8時間以上外回りで歩くのに革靴以外認められなかった。結果、足はマメだらけになり靴下は血膿でぐちゃぐちゃだったが、外回りをしない上司は社内でサンダルを履いていた。
別に足下の問題だけではない。
学生は校則で頭髪から服装から所持品まで厳しく決められているが教師は自由である。
毎日ジャージでサンダル履き、髪はぼさぼさという教師は珍しい存在ではないだろう。
外見が内面を現すというのは日本独自の考え方だと思う。
日本は古くから階級や職業や身分によって外見が決められてきた。
頭髪だけで既婚や未婚、成人未成年の区別がついた時代もある。
その名残が今も続いているのだろう。
全くもって馬鹿馬鹿しい。
外見で内面が決まるなど本末転倒であるし、外見を変えたところで内面は変わらない。
ところが、ここには困った逆転現象があって、いざ外見を自由にしてしまうと困る人間が多いのである。
日本人ほど奴隷に向いている人種はいないという評価もうなずける。
かく言う私は、外見も内面もどうでもいいと思っている。
変化するものを確定しようとする行為ほど愚かなものはない。