皆さんはプライバシーや人権を軽視された生活が望む日常でしょうか?
それが当事者に対する正確な説明もなく、差別主義者達の民主主義に基づき、本人の自覚なく行われ、自死や死刑などの残酷な刑に運ぶという事を幻聴・妄想として処理される体験で日常的に聞かされる事が、皆さんそれぞれを自分の立場に置き換えた時、それが皆さんの望む日常でしょうか?絶対に違いますよね。
また戦争法案で自衛隊の方が戦地におもむき、死ぬ可能性があるという事は、たとえ見ず知らずの無名の他人であっても、私はそれを許す事はできません。この国に住むたった一人の命であったとしても、それをないがしろにする差別主義者と政治を許す事はできません。
経済的貧困者が自衛隊に入るというルートが太くなる可能性も高くなっています。貧困な暮らしを余儀なくされている人達は、私のこのネット配信を見る余地もないかもしれません。労働に勤しまざるえず、反戦平和を訴える集会やデモ行進に参加する余裕などない人もいるかもしれません。自らの生存をめぐる闘争の日常に追われ、政治や社会の問題に意識を向ける余裕もない人もいるかもしれません。私は同じ国民の生存可能性が低下する可能性の高まる戦争法に賛成する事は決してできません。
差別主義者達による連帯と同じ国民の生存可能性を低下させる事に賛成する政治家は、人の命の尊さや人間の尊厳や他者のプライバシー保護の意識にあまりに鈍感であり無責任であり、このような人達が政治的に多数派を占めていても、私は許す事はできません。
戦争法に反対する人が世論の多数派である事と、連日大規模デモが国会前や日本各地で行われていた事、これを政治家が無視と違憲法案を国会議員与党多数派だけで通すことは民主主義に反対する事で、彼らは政治家として失格であり、次の選挙では確実に落選させましょう。
死刑制度も含め、たった1人の命であったとして国家の暴力によりその命が奪われる可能性のある法に反対する者の主張が無力でない事が、政治家も含めて多くの人に伝わる事を望みます。
この文章を読んでいる1人1人が政治・法学・倫理について勉強し、道理に外れた政策や人の生命を軽視する政策を行う政治家や主義主張に反対しましょう。そのためには、知識を無料提供し理性的に意見を交換するネットの勉強会などを作る事は大変意義のある事だと思われます。
若者たちも「政治に無関心」「仲間内の日々の楽しみの追求の結果の公表くらいしかネットではしていない」と見下される立場の人達も多くいるようです。
知的階級で差別化された者に対しては「政治的な事に関して高度な教育を施し立派な言及をする存在でなくていい」とか「充分に真実を見えなくさせていい」とか「ただのバカには教える事のできない事があるのです。ゴミはゴミらしく生きてね。氏ねバカ。(by 山形浩生)」とか、思想的に深い本を読んでいても「インテリぶってるバカ」とだけ言われ教育的な言葉や承認を与えられる事もなく、無干渉の中に放置するか差別と中傷の言葉を吐き捨てその生を軽視する人達が沢山います。
うまく社会参加していない者は<よく生きる事を怠った者>として、勉強・労働をしてそれなりの地位を築いている人達に見下され、対等な人間とみなさない人たちが沢山います。
おかしいと思える事にも理不尽な事にも説明不足な事にも「本人の能力不足と努力不足とその人個人の家庭環境の問題からくる自己責任だ」とか「ずっとその立場をこらえなければならない」とか「既に決まった事なんだから仕方がない事」などと言いくるめようとする人達も多いわけで、その苦痛な状況を耐え忍んで来た人達もいるわけです。
「声をあげても届かないし連帯をする気はない」「助けの手を差し延べる気はない」「救われない」「黙れ!」そういう事を言う人達に囲まれてその生を軽視するような表現を聞きながら生きている人たちもいるわけです。自分達の存在に、表現に、自らの状況改善の力がどれ程あるか感じられず生きてきた人もいるわけです。
戦争法に反対する民主主義は止めるべきではないし、たとえ仲間内の友愛の連帯から外されがちな孤独な人であってもその生を軽視されるべきではないという主張は聞き入れられるべきです。
私たちが主張し表現し行動し続け、この国の「平和を尊ぶ意思」「たとえ一個人の尊厳や権利や生命でも踏みにじられるべきではない」「自分が帰属意識や仲間意識を持つ存在でなくてもその存在や表現活動は尊重されるべきである」という真っ当な感覚を、多くの人が持つ事ができるように、異常な差別的言論の流行などには対抗しましょう。
政治家に限らず政治をする者達が大きな力で、私たちの意思や権利に反するルールを作ったり、個人の自由や権利を抑えつけるような主張をしても、それに抵抗し続けます。この力が尽きる事はありません。
私たち国民の民主主義は、戦争法が通った後もそれに反対するように働き続けます。1人1人の尊厳と自由とプライバシーと生命の尊重が、多くの人の意思となるように育むために、自分の表現可能なメディアで主張し続け互いに連帯しあい、そしてそのための充分な教育がなされていく必要があります。
何度も何度も差別的表現や生の軽視の声や「救わない」と言われても表現し続けるのは、この国で平和的に生存し続けたいからです。
そのためには充分な事実を相手に伝える対等なコミュニケーションにより問題を解決する事の重要性なども多くの人が自ら学び始めるように、私はペンで闘い続けます。