

武田先生へ
おひさしぶりです。ベジタリアンの素人絵師生活を送っている藤田です。
ボールペン一発書きのメッセージで申し訳ありません。
今、ストロベリーナイトOSTの「鉄と肉」という曲と No.9の「urban nature」という曲を同時に聴きながらこのメッセージを書かせていただいております。
「urban nature」からは中塚尚子(香山リカと名乗っている芸能人気取りの精神科医です。武田先生は右翼として嫌いな精神科医兼政治活動をやっている人ですね)っぽい声で僕の事を“ゴミ”という声が聞こえて、罵倒語をいくつか言い返した後、ふと自己愛の心理学の観点から「外逃げと<私>」という話を思いつきました。
「外逃げ」というのは現実の実社会での他者との関係性(職場・学校・部活・サークル・家庭などの中での対人関係)に基づかない幻想の自己愛のよりどころに逃げる、という事です。
<私>というのは永井均という哲学者が深く考えた人間の<主体性>の奇妙な性質の事で僕の考えではラカンも深く考えた<まなざし>と深く関係のある概念です。
深く社会参加し信頼関係と友情関係と恋愛関係などで深く結ばれ互いに相手に愛をはりつけて生きている(この表現はフロイト流だったと思います)まっとうな人は、そこで裏切りや失恋などを経験すると、深い心理的苦痛と哀しみにおそわれるのが普通で、あまりにも信頼に基づく他者依存な心理にあると自殺してしまう可能性もあるように思われます。
でも、中流家庭以上の収入がある<ひきこもり>やニートで本の世界や芸術の世界に閉じこもってネットで外界にふれるのが心の中での現実形成になっているようなタイプは、その生活スタイルからして外逃げをしていて、しかも他者との対人関係さえも普通の人が傷つき泣き出すような事にびくともしないタイプ(ドライな愛で生きている)は、疎外される事などを「(溜息をついて)またこれか」と解釈しメタな視点で対人関係のネットワークの平面を俯瞰し(メタジャンプという表現もたまに使っております)全体をBIGな知性が書いた本で記述しようとし、日常の対人関係の心理の<外>の世界でも安心して心理的な呼吸をしているような事や、「僕にはBIGな存在であるスターがいる!(関学文学部生の錦織君という弦月仲間のセリフによる入れ知恵)」という心理に逃げ込むのも外逃げの一つで、永井均の<私>の哲学にはまるのも自慰的な外逃げの一種と解釈できるのではないかと思っております。(マルクスは哲学する行為を自慰に例えたとジジェクの本に書いておりました)
さて、僕の外逃げの話です。
僕の知らない世間での判断では「関西学院大学絵画部弦月会と綿矢りさ」という対立において、綿矢りささんの本を頼りにした状態が外逃げだと判断されていましたが、僕は弦月との対人関係の心理において空中キャンプ(といって伝わるでしょうか?)としての綿矢りささんと外逃げというのはしていなかったつもりです。(???意外だ!という声を出す警察関係者と精神科医がいらっしゃると思います)
それよりもっと前の外逃げの話をしましょう(汚い字ですみません)
西宮甲山高校合格時、奴賀正治くんが(大社中学時代の剣道部仲間です)「この高校は近所で評判悪いで」と否定的な事を言っていて、研伸館予備校に高校1年の6月か7月頃に僕が入って後々そこでの対人関係に基づくプライドを甲高での対人関係に基づくプライドより高くおいていて、それが外逃げの大きなはじまりかもしれません。
次に最も重要な外逃げは、98年から本格的にはまりだした(兄のパソコン経由です)インターネットです。同時にリチャード・ドーキンスの「利己的な遺伝子」を読みだして「読めばあなたも気分は天才。そんな気持ちにさせてくれる本だ」という記述の通り(アメリカの新聞の評です)そこでプライドの肥大が現実の文字の世界に帰着して本の読解を外逃げとして考え行動するようになりました。「インターネット+本」はその後も僕の重要な心理的な外逃げの手段となっていて、それは「現実の面と向かっての対人関係で必要とされるような柔軟性」の欠いた表現として文章の断片のアップなどを僕はしていた時期がものすごく長かったです。
でもそれは、幼い頃から日常的に知の世界に接して本を読み対人関係の中でその話をしているような人以外には、ある程度以上の知の世界の話の表現としては仕方がない事ではないかと思っております。
(だってそのへんにいる女子高生がいきなり浅田彰、今村仁司、岸田秀、岡田尊司、小此木啓吾、エーリッヒ・フロム、フロイト、原始仏典、上野千鶴子の著作の話を引っ張ってきて有機的に結びついた正統な知識と解釈に基づき場を弁えて状況と空気に適した形でベラベラ(妖怪人間風(-_-))しゃべりだすなんてのは、普通ありえませんよね)
ちなみに「第4空間の窓口」と外逃げの話を関係してアイドルさんや女優さんが多くの人にとっていらっしゃり、僕にとってこのメッセージの裏の(名前を書いたらキモイと言われてしまうらしい栗山千明さん)女優さんは、僕の外逃げの心理的なよりどころでありまし(過去形で書きたくないです。(T_T))
外逃げ(?高校2年以降実際にクラスメイトになっていない人達の名前の組み合わせと、サヨクの有名人など)の対象
2002年高島望、2003年富田直子(世間では松浦エリカ・池内あややのはずだった)、t.A.T.u.、2004年綿矢りさ(?) 2008年から雨宮リカ(大学休学時)
つづきはまた今度。
なんかさっき中学時代のクラスメイト吉本晃といいう野球部部員の声が自宅マンションの外から聞こえて、何かを企んでいて誘導で話していたのかもしれません。
今まで聞こえて来た実際の大社中学・甲山高校時代のクラスメイトの声は、
中井・吉本晃・松田英紀・福山望
だけだったと思われます。
全員何らかの偏りを持って国家による一般市民(あるベジタリアンの素人絵師の僕)への差別と虐待放置を容認してもらえるように考えて配置された声だったのだと思われます。