人権を守るための権利、基本的人権と公共の福祉、現代社会と新しい人権 | You continue to conceal very important secrets

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高校「政治・経済」から(山川出版用語集と「理解しやすい政治・経済」から)


基本的人権

人間として当然に有し、国家といえども侵すことのできない権利。基本権または人権ともいう。具体的には、自由権、社会権、平等権、参政権がある。

基本的人権の尊重

人間の生来もつ自由かつ平等の権利(自然権)が、最大限に尊重されること。国民主権や法の支配とともに近代民主政治の基本原理をなすものである。


◆人権を守るための権利

権力は腐敗する。絶対的権力は絶対的に腐敗する」というのが歴史的事実であった。そこで、人民が権力をもつ支配者を選ぶとともにやめさせる権利を平和的に行使できることが絶対に必要である。また、国民として国に請求できる権利も確立されなければならない。これら「国家への自由」は、人権を守り確保していくために欠くことのできない権利である。

◇請求権

請求権は、「基本的人権を実現するための人権」といわれ、個人から国家に対して積極的にはたらきかけ、あるいは基本権が侵害されたときに、その補償や救済を請求することができる権利である。

1、裁判を受ける権利

法律上の争いに関しては、だれでも裁判所の裁判で決着をつけることが保障されている。これは、力のあるものの専断や不法を排し、正義を実現するためには、司法的保護が欠かせないからである。

2、賠償および補償請求権

公務員の不法行為によって損害を受けたときは、だれでも、国や公共団体に損害賠償を請求できる。国家賠償法では、公権力の行使にあたる公務員の不法行為について、国や公共団体の賠償責任を定めている。

また、犯罪の嫌疑を受けて身体を拘束されたのちに無罪の判決を受けた人は、単に無罪放免だけでは衡平を失する。刑事補償法では国の負担において金銭で補償すべきことをさだめている。

□刑事補償法では、検察官や裁判官が無実の人を故意または過失によって違法に苦しめた場合は、憲法第40条による刑事補償とは別に、第17条による賠償も国に請求できるとさだめている。


◆基本的人権と公共の福祉

憲法に人権のカタログをのせただけでは人権は保障されない。また、人権を口実にした権利の濫用も防ぐ必要がある。日本国憲法は、人権を制約する原理に「公共の福祉」を掲げているが、戦前の日本における滅私奉公とか国益優先という大義名分と、どう違うのだろうか。

□基本的人権の保持責任

基本的人権は、「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」として「過去幾多の試練に堪え」てきた遺産として、国民は「不断の努力によって、これを保持しなければならない」(第12条)と規定されている。これは、過去の遺産のうえに眠るようでは、人権は失われてしまうので、国家権力による侵害のないよう、絶えず監視し、自分や他人の人権の無視や抑圧に対してはつねに積極的に抵抗する精神によって、人権は実現され、維持されると説いている。

□公共の福祉

日本国憲法第12条で「国民は自由と権利を濫用しないで、つねに公共の福祉のために利用する責任がある」とし、第13条でも、「国民は、公共の福祉に反しない限り尊重される」とさだめられている。そのため、公共の福祉と基本的人権の尊重との関係が問題とされてきたが、日本国憲法の精神から次のように考えられる。

1、日本国憲法では、個人よりも全体に価値を見出す全体主義的な公共の福祉は認められない。

2、一般的に公共の福祉を人権の上位において、ただ公共の福祉に基づくといっただけで人権を制限する根拠とするのは不十分である。


◆人権の調整原理として

憲法第12条、第13条にいう公共の福祉とは、人権相互の間の衝突を調整する原理と考えられる。自由と権利の尊重は自分だけでなく、他人の自由・権利の尊重をも含んでいる。だから、他人の自由と権利を侵害する「自由」というものはもともとありえない。このように基本的人権に本来内在している一定の原理的な制約と限界を、「公共の福祉」という語で表現したと考え、人権相互の調整をはかり、自由を各人に保障するための内在的制約とみる。

◆経済的自由の制約根拠として

公共の福祉」は、居住・移転・職業選択の自由(第22条)および財産権の保障(第29条)の条文だけに制約原理として使われ、これ以外の具体的な権利の保障のところでは使われていない。第22条・第29条が経済的自由権を具体化した条文であることから、これは、社会権(生存権的基本権)を保障すると考えて、国家による積極的な政策的制約とみる。

◆今後の方向

公共の福祉というのは、あいまいな概念であるので、正当な自由と人権を抑圧する公益優先主義がはびこらないように公共の福祉という概念の濫用はやめるべきである。


◆現代社会と新しい人権

わたしたちはの権利は、憲法に記されたものに限定されるわけではなく、経済・社会の進展につれ、憲法で個別に明記された人権には該当しない新しい人権が登場する。新しい権利も、「生命・自由・幸福追求に対する国民の権利」などに根拠を求められ、しだいに定着している。

プライバシーの権利

企業や国家が情報を集中管理するに至り、個人の「私生活の自由」が脅かされる状況が生じた。プライバシーの権利とは、国家権力や他人によって私事・私生活を公開されない権利である。憲法上の根拠は、第13条の「個人の尊重」原則と「幸福追求に対する国民の権利」とされた。

◆環境権

工業化の進展の結果、生活環境が汚染され、人の生命や健康に害がおよぶ事態が生じた。良好な環境のもとで生きることは、人間の生存の基本条件であるから、憲法の生存権(25条)、幸福追求権(13条)を根拠として環境権として主張されてきた。1972年の国連人間環境会議では、人は、尊厳と福祉を保つに足る環境で、自由・平等および十分な生活水準を享受する基本的権利を有する」と宣言した。

◆知る権利

従来、表現の自由は、表現の「送り手」の自由が強調されていたが、最近では「受け手」の側の、必要な情報を自由に知ることができるという「知る権利」も含んでいることを強調するようになった。国民の国政参加も、正しい情報にもとづかなければ形骸化してしまう。そこで、一方的に流される情報を受けとる消極的な自由ではなく、積極的に情報の提供または公開を求める権利が必要となる。官庁の情報に対する国民やマスメディアの公開要求権、あるいは、官庁の情報提供義務を定める情報公開法の制定が問題となってきた。

さらに、アクセス権(接近する権利)も主張されている。これは、マスメディアを通じて、市民が公の争点についての意見を表明する機会を保障することが必要となったからである。