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口先だけの人は信じるに値しないけど、「ありがとう」と「ごめんなさい」の言える人は信用したい。
特に大人は「ごめんなさい」を言えない。なので、素直に謝ることが出来ることは大きい。

ただ条件がある。謝罪の後に行動があることだ。反省したことを示す行動があってこそ、ごめんなさいの言葉が生きる。

人を見る目がないのか、性善説に囚われすぎてお花畑なのか、神経質すぎるのか、アホなのか……私はよく人に振り回される。
たぶん相手には悪感情はない。私とはちょっとずれているだけだ。

数年間。たぶん10年くらい、とある人物に振り回された。彼女は、とある格式の高い寺の住職に心酔していた。よく出入りしていたようだが、他に出入りしていた女性たちをいじめにいじめ、ことごとく追い出していた。
私はその現場を見たことはなかったし、彼女の主観的な話ばかり聞かされていたので、彼女の言う「常識のない女性たち」の話を、ふーんとたいして深くも考えずに信じていた。
彼女の話す「常識のないこと」は、とても些細なものだった。ターゲットになったのは、若くて可愛らしく、才能があって、周りの人に好かれている女性。
若さ、美貌、才能。女の嫉妬とはなんとも恐ろしいものよ。嫉妬に燃えた彼女は崇拝する住職から彼女たちを遠ざけるべく、ちくちくといじめを繰り返していたというわけだ。

何人もライバル視していた人を追い出して、しまいには彼女も寺から出入り禁止となった。こころの広い住職でもさすがに思うところがあったのだろう。一回目は期間限定で、二度目は永久追放だった。
しかし彼女の言動を見ていると、自分が悪いことをしたという認識はまるでない。自分の価値観で動いて、それが非常識であることを認められなかった。認める素地がなかったのかもしれない。

彼女には友達がいなかった。私も彼女の本性を知ってからは関係を断った。引っ越しもして容易く行き来することも出来なくなったのでホッとしたものだが、それから何度か電話がきた。着信拒否しても番号を変えて電話をしてくる。二度、三度だったか番号を変えて電話をしてきたが、私はもう無言で電話を切り、また着信拒否をした。

ここまで行動で示しているのだから、いい加減にその意味を理解してほしいと思う。あまり……期待は出来ないのだが。

 

約束を守れない人というのも苦手だ。口約束ではない。書面に書かれた約束だ。それも相手から言い出したことだった。
私は数年間、ハンドメイド作品の委託販売をしてもらっていた。是非にとお願いされ、また長年ブログでの付き合いがあったこともあり、二つ返事で請け負った。
最初に契約書を作り、作品を送る際には必ず納品書を添えた。契約は三か月区切りとし、更新するようにした。

三か月ごとに、どの作品が売れたかを知らせ、委託費を引いた分の売上代を送ってくれるように契約した。
ただ、それが守られたことはない。
ある時から一年ほど連絡が皆無になった。メールをしても音沙汰なし。何度か連絡をしたのちに、家族が入院してとても忙しかったと手紙がきた。委託の店も休みがちだったのかもしれない。売上もなかったのかもしれない。

手紙には、家庭が落ち着いたのでまた委託の仕事をはじめると書かれていた。それまでの売り上げも送ってくれた。ただ明細はなかった。
私が送った納品書をコピーして、売れた作品にチェックをいれて送り返してほしいと提案したが、その提案が飲まれることはなかった。

一度、もう委託をやめますと伝えた。しかし、私の作品のファンもついてきたので続けてほしいと頼まれ、延長することにした。
私が望んでいたのは、こちらが安心していられるようなコミュニケーションだったのだが、向こうからの連絡は、こちらが数度催促をしてからでないと来ない。

「〇か月後に半分の〇〇円送りますね。その半年後には残りを送ります」
こういう手紙を寄こされると一応待つ。ただその期限がきても連絡はない。何度かメールを送るとようやく行動してくれるが、最初に言っていた金額の半分にも満たない金額が送られてくる。何か月も待った結果がこれだ。

もう委託はやめることにした。次に延長を頼まれても受ける気はない。
とても疲れた。イライラした。約束を守れない人とお金の絡む契約をするべきではない。安い資材ではない。結局赤字となった。高い勉強代だ。

 

前述の人も、この人も、私と価値観の合わない人だった。上手く付き合える人が、どこかにいるのかもしれないが。
本人が意図していなくても結果的に「嘘」をつくことになっていた。無意識なので変わることがない。だったらもう、距離を取るしかない。

このズレはどこからくるのだろうと思う。私に人を見る目がないからか。何年も辛抱強く付き合ってしまうからか。
本当の優しさは、厳しさを持っていると思う。相手にとっては思いもよらぬことかもしれないが、早い段階で関係を切ることも優しさなのかもしれない。

 

本当に私を大切にしてくれる人とだけ付き合っていきたいと思う。
選択をする基準は自分に置いていい。もっと自尊心を育てて、自分の基準を厳しくしていいと思う。
それは我儘に見えるかもしれない。自己中心的に見えるかもしれない。しかし、私はもうそれでいいと思っている。

信頼は行動がないと得られない。
今は亡き陶芸の師匠は、尊敬する人だった。優しさと行動がハッキリと直結していた。人柄がそのまま作品に反映されていた。美しかった。
いつも私のことを心配してくれていた。
入院前に一人で陶芸教室の後始末をしていた姿が思い浮かぶ。最後に渡してくれた陶芸道具は、今も大切に使わせてもらっている。

師匠のように毅然として、しかし周りの人には優しい人物に憧れる。
私はもう、目標とする人だけを見て、残りの人生を歩いて行きたい。