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岡田斗司夫さんのYouTubeで「嫌な人になる努力を皆さんざんやっているが、やめましょう」という話があった。
やってしまっている五つの項目。なるほどなと思ったのでシェア。

①欠点を探して指摘する。
今すぐやめること。相手にストレスを与えてるだけ。

②改善点を提案する。
聞かれれば言っていい。自分から言うのは我慢する。改善点の大部分は誰でも思いついているが出来ないことだ。

③陰で言う。
解釈の歪みが大きい。間違って伝わることが多い。悪口や批判は本人の目の前で言う。

④悪口や批判で盛り上がる。
楽しい。仲間の結束が上がる。だが、基本的には暴力と捉えること。

⑤悲観的・否定的な態度を隠さない。
これくらい私は分かっているんですって言いたい時に出る恥ずかしい自意識。恥ずかしい感じは見抜かれる。
無意識に出てくる否定的な意見は「おなら」。出ちゃうもんだからってやる人はいる。周りの人は愛想笑いをしてくれるかもしれないが、なんか不潔な人だなと思われる。

耳が痛い(^^;

わたし、改善点の提案とか言ってしまいます。申し訳ない。ごめんなさい。
言い訳をさせてもらえるなら、元医療従事者の勝手なお節介です。
自分の健康管理もしっかり出来ていないのに、人様にあれこれ言っちゃいます。あーあー。ヤバイ。ムッとされたこと多かったろうな。

他人が上司の悪口なんかを言う時に聞き役になることが多い。聞き役になると共感や同意が必要。つまりは相手の言っている悪口をさらに助長する行動なんだよね。
こういう時にどういう態度や返答がいいのかと思ってしまうけど。とはいえ相手も大人。自分で解決するしかないし、私に対して愚痴をこぼすことで心の整理をしているともいえる。
自分自身で「気づき」を得るのは難しいな。ただ時間がかかっても気づくことでしか変化していけないのだろうな。ブーメランだが(^^;

あと何か問題を感じていても、それを今すぐとか一年以内に解決しなきゃいけないと焦らずに、例えば十年後に解決すればいいこともあると思う。
他人は変わらない。自分が変わることでしか問題は解決していかない。そして問題によってはとても時間がかかることもある。

五十代の私から見て、中二の頃の私の悩みは恥ずかしいくらいに些末だったと思える。しかし中二の頃の私にとって、その問題は自分の世界全てを覆い尽くすような問題だった。あれから何十年も経ったからこそ分かったこともある。

時間が解決するというのはある意味ほんとうのことだろう。
今すぐ解決しなければ居たたまれないという気分は、こころの余裕が足りないということかもしれない。

嫌な人になる努力はもちろん無駄な努力だ。
自分の居心地が悪いので相手をなんとかしたいというエゴでもあると思う。
自分の考えが正しいと思い込みたいので、周りを巻き添えにして自分の正当性を強調したいのかも。

ネガティブなことばかりを言ったり、上から目線ばかりでものを言っていると、他人は自然と離れていく。もしくは上っ面だけの付き合いしか残らない。

いかに宙ぶらりんな場所に踏みとどまれるのか。
大人にはその忍耐力が問われるのかもしれない。
宙ぶらりん。
日和見主義って意味ではなく、柔軟性というか包容力というか、スルースキルというか、バランス感覚というか。じっと留まって自分にとっての正解を見出すまでの時間を稼げる能力というか……。

この世に正解なんてないのだろう。ただその時々によって正しそうなことと、違ってそうなことはある。時間が経てば落ち着くところに落ち着く。
それまで待てるのか。最適解を見抜くまでジッと目を凝らしていられるのか。

どうせ努力をするのなら、嫌な人になる努力ではなく、見守ってて欲しい人になる努力をしたい。
そう思った。