見出し画像

 

人々はそんなことがあったことすら忘れている。

情報操作もフェイクニュースも。
演説の映像自体が造られたフェイクとか、衛星画像も作り変えられるとか。
上手に情報を取り扱った側が優位になるのだろう。それが嘘か本当かはそうそう分からないのだし。効果的に利用出来た側が得をする。

コロナで閉塞的な毎日を送っている私達。
最近は日付と曜日がすぐに出て来ない。単調すぎるからだ。昨日と同じ今日。どこにも出かけない。

出かけるのは通院の時だけ。買い物はネットでポチリ。本を読もうとすると視野欠損やら老眼やらで文字が見えない。ピントが合わない。すぐに疲れて本を放り出す。
仕方ないのでYouTubeを見てる。ただ動画は本に比べて思考する余白を与えてくれない。想像力も必要ないようだ。

私の脳みそのシワは減る一方で、つるっつるかもしれん(^^;

テレビはもうオワコンだ。嘘のツギハギが情けないくらいになった。かといってネットは元々が玉石混合。
私は色んな濃淡の嘘の海に浮かんでいる。少々薄汚れている部分やら、ヘドロみたいのやら。

人間は良い行いをすれば幸福が訪れ、悪いことをすれば因果応報に襲われる。そんな考え方が昔からあるけれど、悪事を働きながらいけしゃあしゃあと生きてる奴なんていくらでもいる。ただ因果応報があるとでも思っていなければ、やってられない。聖人じゃない。本当は「ざまあ!」くらい言いたいのだ。

嘘つきは嫌いだ。だが自分を守るためなら嘘くらいつく。嘘の積み重ねが本当になっていく。いつのまにか、嘘を言った当人すら、それが嘘だったことを忘れている。

戦後、沢山の嘘で洗脳されて腑抜けになった日本人。世界で最も騙されやすい日本人。他人がしていることが疑わしいことであっても、「みんながそうしてるから」と前にならえな日本人。そして、どんなこともあっという間に忘れてしまう日本人。

現実も虚構も分からない。まず疑ってかかる日々。疑うことを知らなかったおめでたい私は、まだ子供の姿で蓮華畑に寝転がっている。
花かんむりを被り、空に手をかざして。