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推敲待ちの小説を寝かせたまま、ハンドメイドやってる如月ふあです。

まあ、時間を置いて客観性を持つのは大事ですよ。大事ですけど、現実逃避ですね。ものすごーく気力体力使うので、よしっ! とならないと取りかかれないわけで。まあいいや。無理することはない。校閲をお願いする予定は夏からだ。それまでは現実逃避……ゲフンゲフン。ではなく、休憩しよう。

陶芸やアクセサリー作りは黙々と手を動かすので、好きですね。無になってるわけじゃないです。陶芸の師匠が言ってたのは「まず、形ありき」。完成のイメージがハッキリ、それこそ各部のサイズまで決めてからロクロを回さないと、作品なんて出来ないのです。いや、出来ないわけじゃないけど失敗の可能性が高まるのよね。アクセサリーもデザインを考えることや、それを元にして資材を集めるほうに時間がかかります。イメージが固まっていないと無駄な資材を買うことにもなりますし。きちんとしたものを作ろうと思えば、資材にもこだわりますものねえ。ふひい。

いつもここに何を書いて残そうかと思うのですが、陶芸もハンドメイドも動画で丁寧に残している人が大勢いるので、書くとしたら「私らしさ」のあるものじゃないとなーと感じます。執筆について? のたうち回ってる現状報告くらいかな(笑)まあ、それも面白いですが。前回の校閲体験記は書こうと思ってますけど。

元医療系としては、私が書けそうなのは「うつ病」と「アルコール依存症」くらいかな。うつ病は医療者と当事者として書けるので、ちょろっと研修に行っただけで講演してる人なんかには負けませんよ。「ちっ。なんも分かってねえな、こいつ」って、言ってやりたい講演者はいくらでもいる(出たな。黒ふあ)。

アルコールは、私はほとんど飲まない人なので、知識でしか知らない。現場では仕事してたけどね。もう四年くらい離れているので、新しいプログラムが色々と出て来てるでしょう。基本は変わらないとしてもね。

アルコール・リハビリテーション・プログラム(ARP)ってもんがあるんですけど、専門病院ならやってると思います。二か月とか短期間で、患者さんが受ける学習なのだけど、認知行動療法とかね。とはいえ、アルコール依存症って「治る」病気じゃないから。治るってことは、昔のように美味しくお酒を飲めるようになるってことだけど、完全に「断酒」しないことにはもう普通の生活は出来ないわけで、再飲酒(スリップ)しちゃったら、もとのもくあみ。これもまた症状のひとつで、依存症にスリップはつきものなんだよなあ。精神論じゃなく、脳がそういうふうに変わっちゃってるんで。

やっぱ、私が語るには重いわ。体験してないことを語ると、知識だけの「冷たい」文章にしかならないものね。うつ病だったら、医療者と患者の両サイドから語れる。こっちの方がマシだなあと、いま書いてて思ったなあ。

人生に一回きりのうつ病って人はわりといるだろうけど、私は再発を繰り返して、現在四度目。もう人生の大半をこの病気と付き合ってるわけです。元気な人だったら難なくできることが出来ない。元気な人と同等なことが出来てる時期は、むしろ躁に傾いてる時か、むちゃくちゃ無理に無理を重ねているのにそれに気づかずに「頑張りすぎてる」時期なんだよね。

他人に相談しろとか、行政に「うつ110番」みたいなもんがあるだろとか言うけど。私に言わせれば「アホか」って話なんだよね。相談できるとか、ましてや行政に出向くとか、そういうことが出来るうちはまだ本当に落ちてない。落ちまくってる人ってのは、自分の症状が悪化していることにすら気付かずに、他人に話すのなんて億劫で仕方なく、自分に対する客観性なんてないんだよな。視野狭窄に陥ってて、義務である仕事に這ってでも行くか、でなきゃ死ぬしかないって二択になっちゃってる。

休む、逃げるっていう選択肢を思いつけるうちは、まだマシです。思考停止になる前に、精神科で診断書をもらわないとね。自殺する前に、心筋梗塞とか脳梗塞になるかもよ。食生活なんて、もうめちゃくちゃだものねえ。

つーわけで、「校閲してもらいました体験記」「再発を繰り返すうつ体験記」なら、今後書けるなあと整理がついたところで今回は終わりです。終わりなのかよ。うん。終わりだ(笑)校閲体験記のほうが先になるかなあ。物書きさんにとっては、けっこう興味深いものだと思うんだけど。小説なんて書かんわ! って人のほうが、世の中大半なんだけどね(笑)

んじゃあ! いつものことながら亀更新なので、のんびり行きまーす(笑)