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今回はユトリロについて。彼はアルコール依存症だったと聞きました。
いつものようにAIに質問してみます。

ユトリロはアルコール依存症だったのか

はい、モーリス・ユトリロは実際にアルコール依存症に苦しんでいました。彼は画家として知られていますが、その人生は困難なものでした。以下に詳細を示します。

  1. 幼少期からの苦境:

    • ユトリロは私生児で、父親は不明でした。母親は育児放棄し、祖母に育てられました。

    • 祖母はユトリロに幼い頃から酒を飲ませていたと言われており、彼は2歳の頃にてんかんの発作を起こしました。

  2. アルコール依存症の発症:

    • ユトリロは10代の頃からアルコールを摂取し、高校生の段階で既にアルコール依存症になっていました。

    • 17歳から18歳でアルコール依存症の治療を始めましたが、完全に克服することはできませんでした。

  3. 画家としての道:

    • 19歳の時、ユトリロはモンマルトルで水彩画を描き始めました。絵画は彼の精神を安定させる一因となりました。

    • 彼は独学で絵を学び、独自の魅力を持つ作品を生み出しました。

  4. アルコールとの闘い:

    • ユトリロは絵画からの収入を増やし、作品の価値も上げましたが、アルコール依存症は未だに彼を苦しめました。

    • 彼は50代に入ってから結婚し、アルコールを控えるようになりましたが、画風が大きく変わりました。

    • 彼は一生独身でした。彼の人生は複雑で、アルコール依存症や精神的な問題に苦しんでいましたが、結婚には至りませんでした(上記と違う回答あり)

ユトリロは多くの風景画を残し、「白の時代」と呼ばれる作品群を生み出しましたが、彼の人生は孤独と苦闘の連続でした。

 

ユトリロが家族から貨幣製造機と言われていたのは本当ですか

ユトリロは晩年「貨幣製造機」として家族から搾取されていました。彼の家族には母シュザンヌ、義父ユッテル、妻リュシーの3人が含まれています。この呼び名はユトリロの作品が売れていた時期に、家族が彼を絵を描く機械のように扱っていたことを示しています。
彼の作品はアルコール依存症と孤独から生まれたものであり、その背後には複雑な人生がありました。

 

ユトリロの代表作は?

モーリス・ユトリロは、近代のフランスの画家であり、彼の作品は風景画に焦点を当てています。以下は彼の代表作とその特徴です。

注・同じタイトルの絵画が複数ありました。代表作とは違う可能性があります。興味のある方は検索してみて下さい。

モンマニーの屋根の風景 (Montmartre Roofscapes)
モンマルトルの裏町や小路を描いた作品で、彼のシグネチャーとも言える白い壁が印象的です。ありふれた風景を不思議な詩情と静謐さで表現しています。

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ラパン・アジャイル (Le Lapin Agile)
モンマルトルにある伝説的なカフェ「ラパン・アジャイル」を描いた作品です。酒場の雰囲気や風景を独自の視点で捉えています。

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ノルヴァン街 (Rue Norvins)
モンマルトルのノルヴァン街を描いた作品で、ユトリロの愛される風景画の一つです。

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ユトリロは絵葉書を見て絵を描いていたのは本当ですか

はい、モーリス・ユトリロは実際に絵葉書を見て絵を描いていました。彼はモンマルトルの風景を愛し、その美しさを自身の作品に反映させるために絵葉書を活用していました。絵葉書は彼にとってインスピレーションの源であり、ユトリロの独自の視点と感性を形作る一助となりました。

 

ユトリロの母親はどんな人でしたか

シュザンヌ・ヴァラドン(Suzanne Valadon)は、フランスの画家であり、モンマルトル地区でピュヴィス・ド・シャヴァンヌ、ルノワール、ロートレックなどの著名な画家のモデルを務めながら、独学で絵を描き始めました。彼女はエドガー・ドガに師事しました。

モーリス・ユトリロの母であり、幼いユトリロの素描から1921年制作の代表作「モーリス・ユトリロの肖像」まで息子を描いた絵を多数遺しています。
ヴァラドンは力強い人物画で知られ、国民美術協会に出展した初の女性画家でした。彼女は野獣派的な力強い線で男性の裸体を表現した先駆的・前衛的な女性画家でもありました。

シュザンヌ・ヴァラドンは1865年にフランス中部のベッシーヌ=シュル=ガルタンプで生まれ、貧しい洗濯婦の母マドレーヌ・ヴァラドンに育てられました。
彼女はモンマルトルで画家たちのモデルとして働き、その後自身も画家として活動しました。彼女の作品は繊細な風景画とは対照的に、力強い人物画で知られています。

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ユトリロとシュザンヌ

 

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「二日酔い」 シュザンヌ・ヴァラドン (ロートレック画)

 

ユトリロって絵葉書みたいな絵だなと思ったら、絵葉書を見て書いていたのね。わたし的にはそこまで惹かれる絵画ではないのだけど、ユトリロの人生を知ると人通りの殆どない街角の絵に孤独を感じてしまうな。
白い絵具をよく使っているけど、山田五郎さん曰く独学だったので色んな色を使いこなせなかったのかもってことだった。

母親の育児放棄(ネグレクト)。母親……気の強そうな顔してますな。
祖母に育てられたユトリロだけど、祖母は大人しくさせるために子供であるユトリロに酒を与えていたっていうんだから、時代的なものがあるとはいえ、なんだかなーって感じです。虐待だよ。

当然のようにアルコール依存症になって入院もしてるから、診断もついてるってことなのね。とはいえ入院してもアルコールを飲めない期間を得るってだけで、根本的な治療にはならなかったみたい。

絵を描くことが治療になっていたってのはゴッホに似てるけど、絵が売れると金が手に入るのでまた酒を買うという悪循環になったらしい。
まあ家族が管理して、家で絵を描かせたのは分かる気もするけど、ユトリロのことを「貨幣製造機」って言ってたってのは酷いな。依存症になったのも育児放棄が元凶だってのに。

五十代を超えてから母親の勧めで六十代の未亡人と結婚。母親はユトリロを管理する人物が欲しかった。結婚相手は銀行家の未亡人でお金持ちだったので、ユトリロのことを貨幣製造機とは思っていなかったが、有名になってきたユトリロの地位にひかれたらしい。
結婚はしていないという説もあるらしいが、山田五郎さんの話では結婚したらしい。

母親のシュザンヌもまた貧しさのなかで育ち、モデルから画家になった人。この人も色んな葛藤のなかにあったのかなと、ロートレックの描いた彼女の絵を見て感じますね。