見出し画像

 

断捨離って言葉が流行ってからしばらく経ちますが、私の場合は断捨離やミニマリストではなく身辺整理(笑)

ウィキ先生から引用。

断捨離 - Wikipediaja.wikipedia.org

断捨離(だんしゃり)とは、

  1. 沖正弘が提唱したヨーガの思想。1976年の著書『ヨガの考え方と修業法 上巻』において「断捨離」という語が使用されている。

  2. 作家のやましたひでこが提唱し、商標登録している、不要な物を減らし、生活に調和をもたらそうとする思想。

「断捨離」のそれぞれの文字には、ヨーガの行法(ぎょうほう)である断行(だんぎょう)・捨行(しゃぎょう)・離行(りぎょう)に対応し、

  1. 断:新たに手に入りそうな不要なものを断る

  2. 捨:家にずっとある不要な物を捨てる。

  3. 離:物への執着から離れる。

という意味がある。

すなわち「断捨離」とは、不要な物を「断ち」「捨て」、物への執着から「離れる」ことにより、「もったいない」という固定観念に凝り固まってしまった心を開放し、身軽で快適な生活と人生を手に入れようとする思想である。ヨーガの行法が元になっているため、単なる片付けとは異なるものとされている。

引用終わり。

単なるお片付けじゃない感じ。YouTubeにはお片付けチャンネルは沢山あるけどね。でも面白いのでよく見てる。

物を片づける。例えばクローゼットのなかの服とか、キッチン用品とか。ずっと使ってないのを捨てたり、整理整頓したり。ただ、それもお片付けだけじゃなくて「執着を捨てる」作業なんだなとだんだん見えて来る。

昔もらって捨てられない物、負担に思いながら続けていた年賀状、買っただけで一度も着ていない服。インスタ映えするインテリア。つまりは見栄とか義務感とか義理とか、自分の幸せに繋がっていないもの。

50代になったら、身体が動くうちに家のなかを片づけてすっきりさせたほうがいい。そんな話も聞く。
そろそろ重い物は持てない。動かせない。処理をするにはたくさんの体力と時間とお金が必要になる。

私が断ったものは、自分にとって害のある人間関係。
年賀状はとっくの昔にやめた。私のことをマルチ勧誘のカモと思っている同僚とか、自己愛性人格障害としか思えない人とか。スタッフを使い捨てとしか思っていないブラック企業とか。

ただ、断つのを判断するのには時間がかかった。それは私がお人よしというよりも、双極性障害Ⅱ型の鬱期が長すぎて判断力が落ちていたのもあると思う。

片付いたものは終わったことなので、さておき。私は捨てるだけではなく、今の自分に合った物を探して入れ替える。
自分の持ち物に関しては、1イン1アウトが基本。

しかし興味を持った事は一度やってみる。何もかも手放すわけじゃない。
アクセサリーを作りたければ道具を揃えて作るし、絵を描きたければ絵具とキャンバスを揃える。
一通りやってみて自分に合わないと思えば手放す。趣味はたくさんあったほうがいいと思っている。
古いカメラは手放したけど、GRだけは残している。鬱期が落ち着いたらまた写真が撮りたくなるかもしれないし。

仕事が趣味の人ならともかく、人って自分のプライベート時間を充実させるために働いていると思う。
片づけが極まりすぎた主婦が、夫が趣味で大切にしていた物(多くの鉄道模型)を夫がいないうちに全て捨ててしまった話が新聞のコラムにあった。

その物がもう長い間使われていなかったとしても、どれだけ邪魔に思えても、黙って勝手に捨てるのはやってはならない。

男性はその後、自分の持ち物をどんどん捨て始め、ほんの僅かな持ち物しか残さなかったらしい。ほどなくして病死した。

私の子供の頃、自宅に親戚が訪ねてきた。私の黒いクマのぬいぐるみが、親戚の子供に勝手に渡されてしまった。
私には一言もなく。それどころかその後の謝罪もなかった。
前述の夫氏の絶望感はわかる。自分の分身を殺された思いだっただろう。

捨てるのは自分が所有している物だけ。家のなかにどれだけ目障りな物が積まれていたとしても。同居する家族であっても、別の生き物。その域に勝手に入ってはいけない。

ただ、親が死亡したり老人ホームに入居してから片づけに苦労するのは子供なんだけどね。なので、処理代くらいはがっつり確保せよ。

自宅のなかに自分にとって必要のない物があることでイライラする。その感情からも離れるのが正解なのかも。人は人。自分は自分。家族も恋人も友人も、自分の所有物ではない。

再び、ウィキ先生から引用。

やましたの母親は物を捨てずに溜め込む性格で、片付けるためと称して収納家具を買い足してはさらに部屋を狭くし、「片付かない、家が狭い」と愚痴をこぼすことを繰り返していた。
彼女はそうした母親の姿を見て「物を減らせば解決するのになぜ気づかないのか?」と感じていた。
そして従来の書籍などが提唱する片付け術が収納術に偏っていることに気づき、ヨーガを通じて「断捨離の思想」に行き着いたという。

物を溜め込むのは心に不安があるからで、溜め込んだ物を捨てることで、行動療法のように不安を解消できるとする。
こうして母親を反面教師としてきた経験から「親にわだかまりのない人はいない」と述べるとともに、親への執着を「断つ」ことの重要性についても言及している。
女性向け雑誌『婦人公論』増刊号(2013年4月10日号)の特集「断捨離で『母の呪縛』を解く」では、信田さよ子と「断捨離は生存をかけた娘の闘いです」と題して対談した。

また、東洋経済オンラインでの岩崎夏海との対談では、多忙から2015年に体調を崩した経験から「心身の健康を守るためには、責任感や『忙しさへの執着』を断捨離することも必要だと悟った」と語っている。

引用終わり。

この話、かなり頷ける。私も毒親へのわだかまりを抱えて生きているからだ。自分がやっている「身辺整理」もまた、毒親との闘いなのだろう。

所有物を最小化しようとするミニマリスト。最適化しようとするダンシャリアン。
私がYouTubeで見ているのはミニマリストばっかりだけど、根底は繋がってるのかなと思う。
ただ、ミニマリストでも緊急持ち出し袋は用意しているし、食料や日用品の備蓄はしている。災害大国の日本では、ここだけは譲れない部分なのかもしれない。

片づけたり、整理整頓するとこころがスッキリする。
それに理由を探したことはなかったけど、やましたさんの「母親へのわだかまりとの闘い」という話は、一つの答えだと思った。

物を減らすだけでなく、今の自分に合った物に最適化する。それはこころの浄化に繋がっているのだろう。