よーぐるとのある食卓。
「よ~ぐると」ねぇ。私が覚えている限りでいうと、一番古い記憶の中でヨーグルトとの初めての出会いは、たぶん5歳ぐらいの頃だろうか。たぶん明治ブルガリアヨーグルトだったと思う。何故なら、親父「ヨーグルトってなんやねん」私「そもそもブルガリアってなんやねん」妹「これ、にゅーにゅー?」(妹と私は大の牛乳嫌い)オカン「ヨーグルトは今はやりの食べ物!ブルガリアはどっかあちゃらのへんの国の名前。そしてある意味牛乳かもしれんけど牛乳ではない!!!」という一連の会話を交わした記憶があるからだ。健康志向の母は、その時折で流行る食品にすべて乗っかっていくという、食品ミハー女子である。「はちみつ」がいいといえば冷蔵庫からマーガリンがなくなり数か月間我が家では、パンを食べるときは必ずはちみつを塗って食べなくてならなくなる。お茶に関しては、遍歴は凄まじい。元来夏と言えば「麦茶」だったものが、ブームに乗っかり、ウーロン茶、ドクダミ茶、ハト麦茶・・・・・。数多のお茶が冷蔵庫で冷やされていた。中学の頃、なんかあやしい、木の枝を乾燥させただけのお茶がオカンの中でブームだった。得も言われぬ、美味しくないお茶。中学生の私は、涙目でオカンに「頼むから、お願いやから、麦茶にしていただけないだろうか」と懇願したものだ。お米もしかり!十穀米に麦飯、赤米等々・・・。成長期真っ盛りの中高生の私はオカンに「お代官様~。おねげ~だから、白米を食わせてくんろ~~」とオカンの袖をつかんでお頼み申し上げたものだ。(当時のことをちょっと思い出して、泣けてきた)おっとと、話がずれている。よーぐると、よーぐると。はじめて我が家の食卓にヨーグルトが上った日のことはよく覚えている。オカンが、またいつも通り、自慢げに「これ、ヨーグルトっていうねん。健康にええねん。食べてみぃ」と「さーお食べ」というように両手を広げて5歳の私と3歳になったばかりの妹に言い放った。親父とオカンと私と妹。オカン以外のメンバー(家族)はまたオカンが妙なもん出してきよったで、とばかりに顔をしかめる。オカンは、さー。さー。とヨーグルトを食べるように強要してくる。致し方なし。家族全員で白く怪しい物体をスプーンですくい口の中へといざなった。家族全員の顔がゆがむ。口火を切って吠えたのはやはり、我が家の暴れん坊、親父殿だった。「なんやこれ!!!めっちゃめちゃすっぱいやんけ!!!くさってんちゃうんけ!!!」と騒ぎ立て、子供たち(私と妹)に「お前らもそんなん食うの止めとけ、腹壊すぞ!!!」と畳みかけるように言うのだった。「健康のためなら死んでもいい」とばかりの健康オタク、オカンもここで負けてはいられない。ヨーグルトのすっぱさで顔をゆがめながら、無理くり笑顔を作り、「こんな食べもんやねん!!!!あーーーーそうや!!ジャム、ジャム入れて食べるんやった!!!!」と、後付けでなんらかしか甘いものを入れてごまかしてやろうというオカンの魂胆が見え見えだった。ジーーーー。親父と子供たちの疑心暗鬼の視線がオカンを突き刺す。これでもかとばかりにジャムをヨーグルトに投入させた。訝しげに再びヨーグルトを口の中へとおそるおそる入れるのだった。家族全員眉間にしわを寄せてん~~。我慢できなくはないが美味しいかと聞かれれば、「否」としか言いようのない物体を凝視するご一同。業を煮やしたオカンが「もうええ!!おかあちゃんが全部一人で食べるよって、誰にもあげへんさかいな。後でちょうだい言うてもあげへんからな!!!!」とキレッキレで言い放ちやけくそになってヨーグルトを頬張っていた。その後、母はヨーグルトにフルーツを入れたり、砂糖をまぶしたりと絶え間ぬ努力を重ね、家族全員に「ヨーグルト」という食べ物を認知させていったのだった。今ではすっかりヨーグルトは我が家の朝食の定番メニューとなっている。それは、ひとえに母の努力のたまものである。ヨーグルトのおいしさを幼少の頃教えてくれてほんとうにありがとう。お母さん。