3月はお別れの季節

実家の別宅(牛久)が老朽化してしまい、母も施設に入居して誰も行く人がいなくなってしまったので、取り壊す事に。

3/17は、その家に感謝とお別れを告げに家族で出掛けてきました。

3/25から取り壊しが始まるので、その最後の姿と思い出をブログに残しておこうと思います。



大きな門扉がありまして、父と母の自慢の門扉でした。すっかり錆びついてしまってますけどね。



門扉の横には大きな桜🌸の木があって、花が咲くと本当に素晴らしい眺めだったんですよ。

ご近所の方や仕事先の方々を呼んで、よく盛大にお花見🌸パーティーとかしていたなぁ。

バブル時代のお話しです💦

あの頃は科学万博とかで、牛久近辺はとても盛り上がっていました✨

その後、「つくばエキスプレス」が開通すると人々も商業施設も盛り上がりも全て 「つくばエキスプレス」沿線へと移っていってしまい、牛久は取り残されて閑散とした感じに。




さて、この家、大きな一軒家🏠にみえるけど 実は両サイドの2階の部屋は賃貸になっていました。

木造で築40数年なので、あちこち傷んできてしまいました。設備も古いし危ないのですよ💦



子供達が小さい頃は、春には庭で桜🌸のお花見やBBQ🍖

近くの山に筍掘りにも連れていってもらったっけ。



手入れをしておらず草ボーボーであまり見えないけど、よくBBQをした石製のテーブルと椅子がありますね。



父の好きだった鶴の置物も健在

色も褪せてしまっているけれど、ひたむきにカラスを追い払ってくれてるんでしょうかね。

なんか物悲しくなっちゃった😢




👆生い茂る雑草に隠れてしまった、母の趣味の置物

(ギリシャ神話にでてくる女の人みたいなのがわかるかな?)


父の和風趣味と母の洋風趣味がごちゃ混ぜになってる庭と家なんですよね💦

どちらもガンとして譲らなかったらしいよ😆


夏には庭で子供用プール遊び

年末年始は両親や親戚が集まり 庭にある露天風呂♨️に入ったり、卓球大会🏓して楽しみました。



母の猛反対を押し切って、父が勝手に庭に作ってしまった露天風呂♨️



屋根からの打たせ湯もありました。



ボイラーで水道水を沸かして入れるだけなのに、何故か良く温まって温泉♨️みたいな気分になったものです。結構深かったな。



父が大好きな牛久の河童



石の山の上の方からチョロチョロと水が流れていたりしました。



洗い場もあったし。

冬はここで体を洗うのが超寒かったー🥶



トイレや冷蔵庫、お風呂上がりにのんびりするソファ🛋️もあったね。

父の自慢の露天風呂。

これを作るのに結構お金がかかったらしく、母も年中 父に嫌味を言ってたっけ😆

ボイラーが壊れてしまってから、この露天風呂に入れなくなってしまい残念。

(ボイラー取替にかなりお金がかかるので断念したらしい)



取り壊しの為 色々処分するので、玄関もしっちゃかめっちゃかになってます。





母こだわりの階段と手摺り

映画「風と共に去りぬ」に、こんな感じの階段があったようで、どうしても こうしたかったんだって。



子供達が大好きだったカラクリ時計

小人さん達がベル🔔を鳴らします。




玄関横には囲炉裏のある和室と洋風の応接間があります。

ここでも父と母は張り合っていたみたい💦

父のお客さんは囲炉裏部屋へ、母のお客さんは応接間に案内していたようです。

和室には、アイヌの置物と熊🐻の彫物が飾ってあります。

昭和時代には、何故か各家に高確率で置いてありましたよね。



👇 妹をお嫁に出す時に購入した色紙

父親としての気持ちを代弁してくれているのね。

囲炉裏部屋に飾られていました。



👇こちらが母の好みの応接間

立派な応接セットや飾り棚(ベネチアングラスセットやジノリやヘレンドの食器が飾ってあったと思う)が置いてあったのだけど、どなたかに引き取って貰ったみたい。



応接間の奥にはプレイルーム

ここには卓球台🏓が置いてあって、皆んなで対戦して白熱したゲームを繰り広げました。

チビ達は、負けると泣くのよ😆 懐かしいな。



今はアシュリーとサニー が喜んで走り回っていました。



プレイルームの出窓には、まだシルバニアファミリーセット🐰がまだ置いてありました。

引取りてがいないのね😢



娘達が小さい頃よく遊んでいたなぁ



プレイルームの後ろ側には母の寝室 ピンク系



父の寝室 イエロー系




玄関挟んで応接間の反対側にはダイニングとキッチンがあります。



犬🐕好きだった父が選んだであろう絵🖼️が飾ってあります。



ホーローのいかにも昭和な感じのキッチン



洗面所と浴室



私が学生の頃、工芸の授業で作ったプレート❗️



坪庭が見えたり、シャワー🚿ブースがあったりする浴室です。




トイレ便器はピンク この時代色付き便器が流行ってたのね。


2階へ上がると、茶道をしている母こだわりの和室があります。

水屋もちゃんとあります。

👇



畳に炉がきってあります。



素敵な朱塗りの文机や箪笥などありましたが、これらも処分されてしまいました。





松と梅の襖絵も、私好み



ピンクの壁紙の私の部屋

白いベッドや白いチェストも処分されて、なくなってた。




私の部屋のベランダからの眺め



妹の部屋


アメフト🏈をやってた弟の部屋 何故か和室


2階のトイレ

この壁紙❗️悪趣味だよね💦

見方によっては海外の家っぽいのかな。



小さなキッチンもあったけど、一度も使ってないと思う。何故作ったのか謎だな😰


和洋折衷の変な家だけど、子供が小さい頃はよく遊びに行ったんだよね🎵

庭も広くて、のびのび遊べたから。

沢山の思い出のある家🏠

せめて母が生きている内は残してあげたかったのですが、色々事情があって無理でした😢


ランチは、昔家族でよく食べに行った近所のファミレス ココスへ。

昔から変わらずある 大好きなコブサラダとハンバーグ。




やっぱり美味しい😋



ココスからの帰りがけに気づいたけど、家の生垣には椿の花が まだ綺麗に咲いてた。






この可愛い花を咲かしている木々達も暫くしたら、全て切り倒されてしまいます。

門扉や家も庭や露天風呂、桜や椿の木々も全て潰されて、真っ平らなアスファルトに変わってしまうんだな。

仕方ないことだけど、やっぱり寂しい。



暫し感傷に浸った後、 アシュリーとサニー の為に、牛久沼水辺公園で少し遊びました。




ウィンドをしている沼だとの事でしたが、今日は見る事が出来ず残念😢





帰宅する途中、施設の母に会いに行きました。



母の思いの詰まった牛久の家🏠がなくなってしまう事も理解出来ないんだろうなぁ。その方がかえって、本人には良いのだろうか…。