自分の重みを持て余すうちは | *hirunesuki*

自分の重みを持て余すうちは

「自分が、世界にほんとうに存在している、ということに、まだ不馴れだった。」

江國香織さんの短篇集、「犬とハモニカ」を読んでいます。冒頭の抜き出しは、その中で特に気に入った「おそ夏のゆうぐれ」の一節。久しぶりに純文学を読むと、こんな風に物事を考えたいと思う。一方で少し懐かしいといった感じもする。場合によってはくどいとも思える句読点のリズム。自分自身が何か作文をしろと言われても、こういった打ち方をすると思う。はじめのうちから自分が持っていたテンポ感に寄り添ってくれる作家は、必ず好きになる。懐かしいと感じるのは、子供なりに精一杯、様々な思案を巡らせた時期を思い出すからだ。

「滑らか」を「すべらか」と読ませるような言葉遣いが好き。いつだったか、わたしが口頭で「すべらかだ」と言ったとき、読み方まちがえているんじゃないのと、友人に笑われたことがある。誰だったかは忘れたけれど。本をあまり読まないのだろうなと内心思いながら、そうかな、と笑った記憶がある。わたしにとって、女性の肌について言い表す言葉は「すべらか」で、そのほうがずっと温かくて綺麗で、さらさらしていると思う。「なめらか」なんて言葉は、陶器にもプリンにも使える。

こんな細かいこだわりは、口に出さなくたって絶対に生きていけるけど、忘れたら一度につまらなくなる。だけど場合によっては、言ったほうがつまらなくもなるから、何も考えてないように振る舞うことも必要で、世の中にはきっとそういう人ばかりだ。


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