クリスマスクリスマスツリーが終わってから、大晦日ベルまでの数日間は苦手だ。




クリスマスが大好きなので、指折り数えて待っていた分、“ロス”状態になってしまって落ち着かないのだ。それでも大掃除やら、お正月の準備やら、やるべきことは山ほどあるので、時間はいくらあっても足りない。結局大晦日当日は、「まあこんなものか」と、自分を半ば無理矢理納得させて夜を迎える。そして年を越す時間にはすっかり肝が座り、なんだか厳かな気持ちになるという不思議。



    にやりおーっ!にやりおーっ!にやりおーっ!にやりおーっ!




大晦日と元旦の間の夜は、質そのものはいつもの夜と変わりないのに、意味合いが全く違うことを本当に毎年不思議に感じる。でも、1月1日になった瞬間に、まっさらな新しい自分になった気分になることが有り難くもある。また、前の年に上手くいかなかったことや、やり残したこと、後悔したことなど全てをリセットし、新たな気持ちで前を向けるチャンスを与えられた喜びは格別だ。

そんな一年の節目が、太陽と地球の関係性から決まっていて、4年に一度のうるう年で暦を微調整までしているというのだから、人間の知恵は大したものだと感心する。そして、地球上の殆どの人々が暦に従って生活していると想像すると、人類はすでにひとつの共同体として、充分に結束できる素養を持っているとも思う。




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『大晦日と元旦の間』に想いを馳せているのはなぜか。バタバタの大晦日のやっつけ方のアイデアが、全く浮かんでこないからだ。

昨夜の晩ごはん後のままのキッチンで、今朝はミディアムキッズのお弁当をどうにかひねりだし、「眠い」と、激しく不機嫌な彼を送り出したら、もうこのまま3週間くらい冬眠したい気分だ。

だけど、「それでも地球🌏は回る!」と、頭の中のガリレオ・ガリレイにお尻を叩かれている気がするし、なんとしても年を越さねばならないのだから、早めに重い腰を上げて行動するに越したことはない。

しかしまた一方では、「むだじゃ、むだじゃ!」と言い続けるムーミン谷の“じゃこうねずみ”のように、どうせ今からでは掃除もソコソコしか出来ないしお節料理だって中途半端になるだけだから、ここは開き直って山と積まれた洗濯物をやっつけることに専念し、リスクを取らない一日にすべきとの考えも湧き起こる。




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さて、夫が起きてきたので、今がまさに決断の時。

どうしようか。