前回からの続きです





2008年1月4日
くも膜下出血で運ばれてから5日目。


夫は意識が朦朧とはしていましたが
どのような状況で現在に至るのかをベッドの上で医師から説明を受け
理解することが出来ました。


この時点で
会話も戻り、知能も、記憶も問題がありませんでした。
顕在意識に戻ってきた夫は
『頭がいたい。。。。体がつらい。。。』
と話していました。


身体の状態は激しい頭痛がありましたが
それ以外は麻痺もなく普通に機能していました。


これは
本当に医学的にはありえないことでした。



義妹の知り合いに脳外科の医師がいて
『兄の状態と今後の経過はどう判断されますか』
今回のことを聞いていたところ


やはり
私が夫の主治医から伝えられていたことと同様に
非常に厳しい状況なこと。
助かったとしても心身知能ともに完全介護になるであろうこと。
社会復帰出来る可能性は


ひゃくはちじゅうまんぶんのいち。


1/1800000
これ。







なに
その
確率


意味わからない。



そして

どう見積もっても、、、、、


社会復帰は奇跡。まず、ない。



と、伝えられました。


だからご家族は今から覚悟しておかないとならない。と。。




でも私は
『おおいなるものがだいじょうぶって言ったしなあ。。。』
と、いつも思っていました。



そのおおいなるものの声を
証明してくれるかのように
夫の命は
躍動していました。



しかし
まだ5日目。
まだまだ油断は出来ません。



その日の夫は
まったく痛み止めが効かないほどの激しい頭痛と
とても高い血圧と
熱に苦しんでいました。



*******



翌、1月5日。


夫は前日より話が出来るようになっていました。


サラリーマンの夫にとって5日は、仕事初めの日。


夫は当時、管理職をしており
『会社の人への指示、引き継ぎをメモってほしい。』
私に頼んできました。


こんなときに仕事なんてー!
と思いましたが
それは明らかに脳が正常に機能している証ですし
明日にはどうなるかわからない状態の中で
今、夫の希望を叶えることに全力協力したい!
と感じ
会社への伝言を引き受けました。



*******



翌、1月6日。

 
便箋一枚を手渡され
そこには息子への言葉が綴られていました。


頭痛が激しく寝れない夜に
息子へ書いた手紙。


字はすべてひらがなで筆圧も弱かったけれど
必死で書いたことのわかる5行のメッセージ。


ICUに子供は入れないため一般病棟に移るまで二人は会えないのでした。


『わー!字が書けたんだねー!頑張って書いたんだねー。すごいねー!○○に渡すね!!』
言い
大切にカバンにしまいました。



ICUを出るとき
看護師さんに呼び止められ、ビニール袋を渡されました。

『今日、ベッドから降りて簡易トイレで便をしてもらいました。
その時に上手くいかずに汚れてしまった下着です。
本日、介護ヘルパーさんがお休みの日なので、お洗濯お願いしますね。』
と。



自宅に戻り
洗面所で袋をあけました。



夫はエネルギッシュで元気まんまんの人でした。
高血圧はありましたが
食欲は常に大勢で
お酒にも強く
休日に寝てるなんてありえなくて
海や山にと朝から遊びたおすようなタイプ。
出勤前に10キロ走ってから会社に行くこともたびたびありました。
風邪で会社を休んだことは皆無で
有給休暇は遊びにしか使いませんでした。



私は自分自身の体が異常に敏感な為、地球上では病弱となり
夫は真逆でなんでも食べれるしなんでも楽しめる人。
 


私にとって健康な夫は、
憧れであり、尊敬していたのです。



ですが
私の目の前に
夫の便で汚れた下着がありました。




それを洗いながら

『キツい。。。
これが現実なんだ。。。。』


まざまざと思い知らされました。



健康がとりえの憧れの夫
彼はいなくなってしまったのだろうか、、、、



洗面所の鏡に写る私の顔は
涙で見えなくなっていました。