昨日のめぐみ先生に続いて、
今日は久美子先生のブログの、
最近の記事から引用して、
記事を書こうと思う。
その久美子先生のブログの記事は、
一昨日の金曜日(16日)の夜、
更新されたものだった。
内容としては、シューベルトの楽曲で、
久美子先生が「この曲はおそらく、
シューベルトが泣きながら書いたのでは
ないか」と、気づいたというものだった。
そこで筆者は率直に思ったのだが、
なにかしらの悲しみを引きずったまま、
泣きながら曲を作って、
果たして会心の作ができたのだろうか?
多分そうはなっていないと思われる。
なんか、転調の流れがどことなく、
チグハグになっていて、例えば、
長調の曲でありながらも、短調の部分が
やたら多く、下手すりゃ曲の半分以上が、
短調になっているのでは…?
感情がマイナスにはたらいている時は、
やはり何をやっても、上手くはいかないものだ。
料理にしても、悲しみを抱え込んだまま、
調理して、それを泣きながら食べたところで、
美味しく感じられるはずもない。
それと同じで、曲作りも、なにかしら、
悲しくて泣いていると、会心とは程遠い作品に
なってしまうのではないか?
「泣きながらシューベルトが書いた曲」だと、
鋭く見抜いた久美子先生は、やはり「さすがだ」と、
唸った筆者であった。