今日4月8日は、ここ東海地方に

とって、忘れようにも忘れられない

事件が37年前に起こったという意味で、

筆者にとっては記憶に残る日付なのだ。

 

その事件とはなにかというと、名古屋

出身の人気絶頂だったアイドルの

岡田有希子さんが、今から37年前の

1986年4月8日の白昼、突然ビルの

7階から飛び降りて、その若い命を

絶った衝撃的な出来事だった。

 

なぜ「4月8日」という日付が脳裏に

こびりついてるかと言うと、筆者に

とっても、変な一日だったからだ。

そんな中で飛び込んできた、

岡田有希子さん自殺の報道だった。

 

筆者はこの日、まず朝方メチャクチャ

冷え込んだ中、高3の1学期の始業式に

出かけ、新しいクラスと担任が知らされ、

その新しいクラスで、帰り際に、

年度初めにあたっての教室の大掃除の

メンバーを担任の先生が指名し、その間、

「どうか当たりませんように…」という

筆者の願いとは裏腹に当たってしまい、

かなり長い間、そうだな…1時間半

ぐらいだったか、大掃除に付き合わ

されたのがまず最初のつまづきだった。

 

やっと帰宅してからは、ピアノの

新しいレッスンの先生初日が

控えていて、なんとなく落ちつか

なかった。それまで小学校の

途中から中学校、さらに高2の

終わりまで7~8年ついていた

おじいさん先生から一転、

中堅どころ(親世代より少し若い

ぐらいの)結構キレイな先生へと

レッスン担当が代わる初日だったので、

緊張で舞い上がってたのだろう。

 

夕方、岡田有希子さんが自殺したと

母から聞き、最初は耳を疑ったが、

新聞の夕刊にもデカダカと載ってた

ので、ファンならずともショックだった。

もし自分がファンだったら、即後追い

してたんじゃないかと考えると、

背筋が凍る。

 

夜になって、新しい女性の先生の

レッスンを受けに行って、やっぱり

結果は撃沈だった。例を挙げると、

曲の途中、♭の臨時記号がまだ

小節内にあって効いてるのに、

譜読みの勘違いから勝手に解除して

♮で弾いてしまってたことを指摘

されたりなど…。

 

こんなふうに、岡田有希子さん自殺の

当日、オイラも散々な一日だった。

だから「4月8日」という日付が

忘れられないというわけだ。

 

でも唯一救いなのは自分が岡田

有希子さんのファンではなかったと

いうこと。もしファンだったら、

今ごろこのブログの記事を書いてる

自分はいなかったかもしれないの

だから…。