2008年も、もう終わろうとしてますね!


というわけで、2008を振り返ってみたいと思います。


その前に、、、2007年のことについて。


2006年10月、6年勤めてた中小企業を退職して、ニュージーランドへ出発。


語学学校を3ヶ月ほど、行きながら、ホームステイで、仕事、勉強を掛け持ちですごす。


学校を卒業した後は、ひたすら、バイトで生活。


時給9ドルほど(日本円で、7~800円程度)で週4日ほど。


ホームステイ代が週に100ドルで、収入たりたり、足りなかったり。


一ヶ月間は学校で知り合った友達と旅行をして、日本で用意した生活費は一気にほとんどなくなりましたガーン



で、貧乏生活8ヶ月ほどして、残りは、旅行したり、ほそぼそと暮らす。


で、1年間滞在後、日本帰国。




帰国して二週間後、おなかにBABYがいることが発覚。


当時、わたしは、3ヶ月のBABYがいる友達のお宅でSTAYさせてもらってて、

まさか、自分に。。。。。。。。



というか、BABYがいたら、、、とも思ったり。


わかったときは、戸惑いもあり、うれしさもあり、とにかくびっくりで、妊娠検査薬を

疑いました。


友人に、検査薬はまず間違いないと聞き、念のため、もう一個買って調べたら、やっぱり反応が。。。



病院で正確にみてもらって、間違いなく確認しました。







相当、びっくり。




でも、おなかにひとつの命がやどって、生きてるのが不思議だった


もしかしたら、友達のBABYが友達を連れてきてくれたんじゃないか???


と思った。








あれ?BABYの父とはどこで????




BABYの父はニュージーランドにいます。










彼は、難民という立場で祖国から離れて、ニュージーランドで市民権を得て、7年ほど、暮らしてます。



私は、彼とある、ビリヤードができるバーで出会いました。

私は友人と遊びにいってて、彼をみて、ニュージーランド人かと思ったのだけど、

実は同じアジア人だった。


友人がビリヤードのコンペに参加中、私はひとり、飲みながら友人の様子をみてました。


彼も、自分の番ではなかったようで、話しかけてきました。


いや、その前に、私と友人がしてるときに、私がへたくそで、笑いながら見てた人。


よく笑う陽気な人だなぁというのがその時の印象。いやみなく笑ってました。


私も、、下手すぎて自分で笑ってたから(笑)




で、話をしながら、軽く電話番号の交換。


その後、メールがくるようになり、友達といっしょにビリヤードしようとのこと。


暇をもてあましてた私は、誘いにのり、数回、ビリヤードしにいきました。いつも彼の友達も一緒に。



あと、友人と行ったときにも偶然あったり、、、、。



ある日、わたしたちは、付き合うことになった。最初、ことわってたのだけど、結局そんなことになった。



それから、四ヶ月の間、彼とつきあってた。


つきあっている間に、彼はじつは、事情がある国の人で、、、、軍制国でそれをNZの政府からの圧力で

やめさせる運動をしたり、、、、なにかといそがしい人なのを知った。



であったときは、タイ人だと聞いてた。

あとで、あれは嘘だったといつしか分かった。つきあってるうちに、いろんなことで軽く嘘をまぜることが

わかった。


自分の国のことや、自分の見られ方をすごく気にするのかもしれない。


ぼくは、貧乏じゃないよ、家のテレビだって大きかっただろう??とか


そういうことをいちいち言ってきたり、逆に私のホストマザーの家は、誰々のうちより、綺麗じゃなくてPOOR

だね、みたいなことを言ったり。


つきあってる間「?」と思うこともふしぶしあった。


別れを決めたときもあった、、、、、が結局、家の前で何時間も待ってみたり、

四六時中メールで頼んできたり、とにかくしつこかった。


その熱意に負けたんだろうか、ある日、前々からいそがしくしてた、、、国の政府にたくさんの人が殺された日を

尊ぶPARTYらしきものを、彼が中心となって手配しており、


どんなものか私の友人といってみた。


小さいものだったが、NZの政府を呼んで、民族衣装をきて、同民族をよんで、FOODも用意してた。


彼は、ほんとに祖国のためにがんばってるんだなぁと思った。


彼は本気なんだと思った。

彼のことをもっと、その国のことをもっと訴えたほうがいいんじゃないかとか、そういうことまで

かんがえてみたりしてた。実際に、人々が殺される映像のDVDや、彼の国の政府の

贅沢な暮らしと、国民の貧富の差がよくわかる映像のDVDをみた。彼は、自分たちの国の内情を世界に

知らせて軍隊に制裁をうけさせる気持ちでいた。


彼の国のひとたちは、難民を受け入れてる各国にちらばって、そういうことをしてるようだ。



私は、彼が国のそんな活動でいそがしくて、ひとりで彼がいない彼が一応用意した家に

取り残されることもあった、2,3週間。


彼と付き合う、、、結婚するとずっとこうなんだと思うと、彼のことは好きだったが、考えるものがあった。



でも彼はよく、結婚したい、一生いっしょにいたい、結婚したら、、、、、とかそういうことをよく語ってた。


私も若くなかった。もう三十路を越してたし、彼も当時は29歳。彼の弟は結婚して子供もいた。


彼の言葉を私は本当だと受け取っていた。



私は、彼との結婚生活を考えてみたりもしてた。


うちの母は、彼の国柄とか、、きっと差別するだろう、でももしBABYいたら、さすがに

NOとはいえないだろう、、、なんて安易なことを思うときもあった。


計画があったわけじゃない。


でも、帰国間近で、彼が国の活動もひとやすみして、やっと一緒にすごしてくれてたとき。


結婚していい?


彼の言葉とともに、私もいいと思った。








彼との最後の別れの日、、、、私が帰国する日。


私は、ビザの関係でとにかく、日本に帰らないといけない。


実際、予定の帰国日を、彼と最後すごすために、遅らしてた。これ以上は変更きかない。



彼に、、家をかりて、仕事をみつけて、車をかって、、、、、という手紙をかいて渡した。


それをしたら、私はNZにもどって彼との先を考えれると思ったからだ。






帰国して、、、、BABYの存在がわかった。



あぁ、そうか、あの時の。。。。。



私たちのもとに来たいと思ってきてくれたんだ、



それに、私がひとりで寂しそうにしてたから私のそばにきてくれたんだ!!!!


そう思った。




彼にもちろん言った。



YOU ARE FARTHER・


彼は最初、ピンときてなかった。


で、わかったとき、うれしそうにしてた。


で、私が、なにか言うことないの?



って聞いたとき、


WOULD YOU MARRY ME?


と。


うれしかった。





その電話は、帰国して、3,4回やりとりした頃。




でも、彼は、私が、アメリカ人のだんなさんがいる家庭でSTAYさせてもらってることを

よく思ってなかった。彼は、ニュージーランドに住んでるのに、白人が嫌いだからだ。


いろんなことがあったのか、とにかく、私に、白人なんか、、、と一緒にすんで、、、とか

なんとか言ってきてた。肌の色は関係ない、みんなが悪い人じゃないと言っても理解してくれなかった。


それから、ある日、新しい友達に誘われて、鍋ぱーてぃをしてる時、

ごめん、今はなせないからまたかけるよって言ったら、激怒した。


友人を優先させるのが気に入らなかったらしい。


NZにいるときから、彼の嫉妬はひどかった。それで別れを思ってたぐらいだ。


女友達といても、それを知ってると、なおさら、ずっとメールしてくる。しかも、

僕はひとりだ、、、君は僕を愛してないんだみたいな内容だ。


無視すると厄介な内容。


やさしくなだめても、とにかく、自分を中心にしないといやなようだ。


。。。。。。


日本で、新しい友達の前で、長電話するのが気がひけた私は、彼に

今度話そうっていって、ことわって以来、彼はしばらく電話をかけてこなかった。




それから、私がかけてみると、、、、、、、


ある日、飲みすぎて倒れて、救急車ではこばれた。


僕はわかる、もう死ぬんだ。と話してた。


一緒にいる頃から、アル中の毛があることを知ってた。


注意しても本人はわからなかった。



内容をきくと、死ぬとは思わなかったが、自分でそう思い込んでた。


「僕は死ぬんだ。医者は隠してるんだ。でもぼくはいいんだ。

ぼくは自分の国のためにやってきたから満足してる。」


こういう彼の言葉をきいて私は不可解に感じて聞いた・


「え?私と私のBABYはどうなるの????」



「僕は死ぬんだよ、死ぬのに結婚なんかできるわけないじゃないか」



あぜんとした。



「死ぬとしても、死ぬ前にすることあるでしょ?」と思わずつっこんだ。



彼は、とにかく、自分が死ぬと思って、ものすごく陰気だった。


ひとりで、自分にひたってた。私の言葉もきかず。


でも、それでも飲みまくってた。



私はしばらくほっておこうと思った。アルコール飲んでるときの彼は、とくに、人の話をきかない、

思い込みがはげしい、言葉も暴力的なのを知ってた。



二週間して電話してみた。


明るく彼はでた。。。。。


こないだ、えらく死ぬといってたのに、、、、


で、何もなかったように、何してるの?って聞いてきた。



私はとにかく、NZで出産するなら、病院を探したり、助産師さんをみつけたり、

結婚誓約書のような結婚式をあげてくれる(外国人のために)グループをみつけたりを

しなきゃいけないので焦ってた。そういうことを決めなきゃと思ってた。



で、話をしようとしてるのに、彼はあんまり真剣さがない。

というより、時々、返事もきこえない。


耳をすますと、カタカタ、、、PCを入力してる音。


何してるのか聞くとインターネットをみてると。。。のんきに言う。


話と関係ないことだった。



私は、以前の電話から不安になり、どうしたものか、彼はおかしくなったと思い、

BABYもいるのに、、どうしたらという思いで、心配だったのに、彼は、、、、、、、、、、

私との電話をそんな感じで。。。。



キレた私は、電話をきった。


メールを送ってみたが、返信もない。


私が伝えたかったこと、大事なことも送ってみたが返信もない。


なぜ、メールかというと、電話だと、彼はたいてい友達と飲んでいたり、

言葉の発音が通じなかったりで話にならなかったからだ。


でも返信もしない。



それからの行方は、似たようなもの。


かけてみても、電話かかっても、彼はアル中で話にならない。







私は、BABYを宿したまま、ほんとうに、ほんとうに、ほんとうに、見えないお棺の中だった。











いろんなことを思ってた。もう彼と連絡とるたびに私はひどく落ち込み、先を見失い、

















死ぬことだけを何十時間も毎日かんがえていた。死ぬ方法を考えて寝れなかった。


















友人からの連絡は一切きった。とても人と話せなかった。























でも、病院はちゃんといった。
















ある日、BABYが動いてる様子を目の前でみた。


とってもかわいくはしゃいでる様子。

















私はとってもうれしかった。
















否定できないうれしさだった。




BABYだけは私を励ましてくれてるんだ。
















私は先はみえなかったけど、




新しく宿した命を粗末にしてまで、自分はこの先、生きていきたくないと思った。






本当にそうおもってた。



でも、将来いろんなことを考えると、







一筋縄にもいかなかった。




何ヶ月もゆううつなそんな気分でいた。




でも、BABYがとてもいとおしかった










こわいほど。







母性が自分に宿ってた。
















自分が元気でないと、私はいつか、BABYにいけないことをしてしまいそう。









彼との連絡をたった。


彼とのやりとりをしてると、私は地獄につきおとされてたから。

















私が本当に、出産を決意したのに六ヶ月になってから。





もう、なくすることはできない。



それに、BABYが動いてるのがわかったときから。自分のお腹の中で感じる。



かわいい。いとしい。わたしの子。



















BABYを生かすことだけをかんがえよう。今は。






私は、妊娠を隠して働いたり、妊娠が隠せなくなると、なおさら、仕事を必死で探した。



何回か、泣いた。



せっかく決まった仕事も結局ことわられて、私は、この先ないことがつらかった・


せっかくわたしの元にきてくれたBABYのためにがんばりたい。














あきらめることをせず、がんばってさがして、ようやく、派遣で決まった。



八ヶ月になっても、妊娠を内緒で、土日や祝日に掛け持ちで働いたりもした、


その派遣で一緒に働いてた人たちと仲良くなり、仕事が楽しかった。




妊娠してから、ふさぎこんでた暗い私から脱出したように思った。





なんとか、最低6ヶ月は、出産後はたらかなくてもいいように、自分にムチ打って働いた。



決まった派遣先は、車で一時間かかる遠いとこだった。



電車、車、歩きで通勤に二時間かけてたこともあった。ほんとに、妊婦にはきつかった。





自分はなんどもくじけそうになりながら、BABYにいつも話しかけてた。


トイレにいくたびにも、車の中、寝る前、家の中、散歩先、BABYといつも一緒にがんばった。





妊娠中、BABYによく話したことは、、、、、、




心も、体も元気な子になってね、元気な子だよね。心も元気にね。一生ね。




BABYはそのとおり、お腹のなかでも元気だねって看護婦さんに笑われるぐらい元気だった。







生まれてきた今も、どこへ行っても、元気ね!!ほんとうに元気ねーーーって


はしゃいでるBABYをみて言われる。





そう、私のBABYは、元気。




だって、この子は、底から這い上がってきた子だもの、私とともに。







この子の名前も、そういう名前をつけた。










暁良






一見、暗闇に思っても、自ら先を見ようとすれば、明るくなること、実現できること。




そういう心を持ってどんなときも前向きにむいてほしいから。




暗闇から明るく日の出が出る。。。。。暁






妊娠中、私も絶対無理だと思ってた仕事探しもがんばって恵まれたし、


仕事を探して働いても、、、、一生無理なんじゃないか、どうしようもないと


思ってやまなかった自分を変えてがんばった。




ほんとうに当時の私の携帯のブックマークは、死に関することばかりだった。



つらかった。







もう後ろ向きになりたくない。











どんな状況でも、前を向いて歩くことが大事。





同じ状況でも捉え方でずいぶん変わる。












2009年もがんばろうよ。