嫌われることを恐れないことで、生きることが楽になる。 | 中度HSP。様々な想いを抱えながら。

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40代シングルマザー
日々の想いを書き連ねていこうと思います。

これまで、上司に好かれたいと考え、常に一喜一憂を繰り返す日々を送ってきました。

 

『嫌われる勇気』大変売れているようです。

日本人が書いた本で、アドラー心理学を中心に解説した本。

ここから、大変気が楽になる意見が。

 

”自分のことと人のことを分けて考えよう”

”褒められようとするな”

 

自分の行動で相手が嫌うかって、実のところわからないですよね?(自分にはどうにもできない)

相手がどう思うかは相手の問題であって、こちらは関係ないと。

褒められようとすることは、承認欲求を強めてしまうことになり、人の目を気にする人間の出来上がりです。(他人のために生きようとするようになる)

自分の人生を生きよう!そのためには自分と他人の課題の分離をしよう!

分離ができていないと、操作し、操作される人間関係ができ、それは幸せな人間関係ですか?

 

すごく納得です…

実際は、これまで、人の目が気になり、上司に気に入られたい思いでいっぱいでした。

でも、上司に好かれよう、好かれようと行動すればするほど、相手はこちらをおざなりにし、遠ざかっていきました。

それで、うまく甘えてかわいがられている(ように見える)他の女性社員を妬ましく思い、その人に対してものすごくイライラしたりもありました。

その女性ばかり目をかけられている(ように感じる)状態に振り回されていました。

いくら努力しても、彼女のようにかわいがってもらえず、思うようにサポートを得られずたった一人、くさくさしながら仕事をするようになっていました。

そんな中、更なる打撃となる、上司が私をあまりよく思っていないと思わされることがあり。

今思えば、常に憂鬱でした。

気に入られないと、と思い、相手がどう思っているかを相手の行動から推測しては不安定な感情に振り回され。

もうたくさんだと思ったのは、いくら好かれる努力をしても、意味がないどころか、相手は余計に別の相手を大事にしている様子

にぶち当たったのがもう数えきれないくらいに積み重なったからでした。

 

もうこれで、疲れ果て、上司に気に入られる競争から降りました。

そして、この嫌われる勇気の内容に勇気をもらい、

自分がどう思われるかは気にしてもしょうがない。

自分らしく振舞って、それで好いてくれる人がいればそれでいい。

どんなことをしても嫌う人は嫌うし、好いてくれる人は好いてくれる。

 

これで納得しました。

相手もよく思ってないようだし、それならこちらも嫌われてもいいと開き直ったほうが色々楽じゃね?的な。

それからの私は、これまでは相手がどう思うかすごく気にしていましたが、自由に行動するようになっていきました。

その上司にも、意見を言えるようになっていきました。

その一言余計じゃない?無難に済ますには、言う必要なくない?社交辞令のお礼言ってすませば、それでよくない?

みたいなことってありますよね。それを断るとかするようになったんです。断ることって、好かれたい人には難しいことですよね。

でも、それができるようになった。

更には、自分自身気が楽になったので、人の目を気にせず楽に人にフランクに接するようになってきたと思います。

 

その結果、起こったことは…

 

 

な、な、ななんと!!

 

 

びっくりびっくりびっくり

 

相手が敢えて(仕方なくの状況ではなく)こちらに接するようになってきたのです

 

好いている時にそうしてもらいたかった・・・

好いている時なら、ものすごくうれしかったはずなんですが 

今はうれしくない…

だって、嫌われてもいいって、思って接していますからね。嬉しいわけないですよ、求めてないわけですから

なのに、おかしいですよね?

何で、接してくんの?嫌われようとしてんだよ??

 

何で?

何で?

更に避けるようになるのが普通じゃないの??

何なんですかね、これって。

 

私側の化学変化としては、思うに、つまりは、これが

『承認欲求を捨てた果て』

なんでしょうね。

 

好意がある時にそうしてもらいたかったのは、その時は承認欲求があったから、その時に求めてたから。

嫌われてもいいという承認欲求を捨てた状態で、もう相手に期待していない状況で、相手が歩み寄ってきた時に喜びがないのは、今やその欲しがってた頃のような承認欲求がないから。でしょう。

 

タイミングが悪いから。ともとれなくもなく、これまで好かれようとして行動してきても更に離れていかれたりした

自分としては、相手は好意に胡坐をかくタイプと診断していました。

でも、相手側の化学変化として、(もちろん、相手がどう思うかは相手の問題で、私はコントロールできないし、想像でしかないですが)

おそらくは、接しやすくなった

ということなのではないかなーと想像しています。

多分、これまでの私はかわいがられている同僚に対して相当嫉妬心が表に出ていたと思います。

イライラしていましたからねイラッ

イライラしている人に接したい人なんていないって叫び

 

今は、相手がどう思うかは、考えないようにしています。

もちろん、あまりにもきつすぎる言い方や態度はしないようにしていますよ。

でも、忖度が意味をなさない場合もたくさんあるんですよね。なぜなら、

自分は自分であり、こちらの行動に対して相手がどう思うかは相手の問題で、こちらにはコントロールできない

からです。

いやいや、大体想像つくじゃん!

と思ったそこのあなた!!

それではなぜ、突っ込まれると嬉しい人、突っ込まれるとプライドを傷つけられたと怒る人がいるんですか?

反応は分かれるでしょ?

要は、相手がどう受け取るかなんて、こっちは知ったこっちゃないんです。

だったら、よくわからないことに縛られるより、あまりに反社会的な行動でない限りは、意見を言ったり、断ってもいいし、自分を生きたほうがよくありません?