しばき隊が結成された2013年当時、日本国内(特に東京の新大久保や大阪の鶴橋など)では、「在日特権を許さない市民の会(在特会)」をはじめとする排外主義団体によるヘイトスピーチデモが過激化していました。

街頭で「殺せ」「追い出せ」といった特定の民族を標的にした非人道的な言葉が叫ばれていたにもかかわらず、当時の日本にはこれらを規制する法律が存在せず、警察も表現の自由や道路交通法の範囲内として静観するしかない状態でした。

この「法の空白」に対し、人種差別を放置できないとして有志が集まり、デモ隊を現場で直接包囲して抗議の声をぶつける「カウンター(対抗運動)」を開始したのがしばき隊の始まりです。


差別問題の可視化と法制化

彼らの活動の論理的な正当性は、「国際人権基準への合致」にあります。

国連の人種差別撤廃条約などにおいて、ヘイトスピーチは表現の自由の枠外であり、社会が断固として拒絶すべき悪であるという認識が世界の常識です。

しばき隊の最大の影響力は、それまで「一部のマニアックな政治闘争」として無視されがちだった街頭の差別暴力を、過激な抗議行動によって「大問題」として世間に可視化させた点にあります。

この運動がきっかけとなり、メディアがヘイトスピーチの異常性を報じ始め、最終的には2016年の「ヘイトスピーチ解消法」の成立へと日本社会を動かす大きな原動力となりました。

人権擁護や法整備のきっかけを作ったという点において、彼らの目的には明確な大義名分がありました。


目的のための手段の正当化

一方で、彼らが激しい批判を浴び、社会的な信頼を失った理由もまた、法治国家の原則にあります。

それは「目的が正しければ、どんな手段を使ってもいいのか」という点です。

彼らは差別者に対抗する際、怒号や罵声を浴びせ、時に相手を威嚇・恫喝する手法を取りました。

これは、相手がどれほど不当な主張をしていようとも、民間人が実力で行使する「私的制裁(リンチや脅迫)」に近く、近代国家の根幹である「法の支配」を揺るがす行為です。

結果として、一般市民からは「どっちも過激な集団が街で喧嘩をしている」という印象を持たれ、反差別運動そのもののイメージを失墜させました。

さらに、後に内部や周辺人物に対する集団暴行事件(リンチ事件)が発生し、その暴力的な体質が明るみに出たことで、道徳的な優位性をも完全に失うこととなりました。


しばき隊は「差別という巨悪を可視化させ、法規制に導いた功績」を持つ一方で、「目的のために暴力や威嚇という手段を正当化し、法治主義を軽視した罪」を背負う組織です。

どれほど掲げる正義(目的)が正しくとも、それを実現するプロセス(手段)が社会のルールを逸脱すれば、最終的にはその正義そのものが否定されてしまうという、近代民主主義における重要な教訓を示す存在だと言えます。