プロコル・ハルム「青い影」

この歌詞の訳については、作者のキース・リード自身が明白な説明を避けているため、さまざまに解釈されているところです。それは、わたしの勝手な想像ですが、彼の極めて私的な詩であるとともに、本当の意味をあまり知られたくはないからなのではと考えます。
あるブログをきっかけに、わたしは今一度この詩について考えてみました。そして、日本ではあまり知られていないウィーンの先鋭的な詩人、コンラード・バイエルの作品を読み進めるうちに、パッとひらめくものがあり、またこの詩の書かれた時代背景も勘案し、自分なりの想像で訳してみることにしました。かなりの意訳となりますが、ご興味がおありでしたら、どうぞお読みください。


青い影

とにかく軽いノリでバカはしゃぎしてたよね、
反戦だ、ドラッグだ、セックスだって。
幻覚見ちゃ床転げ回ってさ。
船酔い気分もあったと思うんだよ。
時代はさらにそういうことを求めていたし、
ニーチェによって天国なんかもぶっ飛んでっちゃったんだし。
僕らはより深い酩酊を求めていたよね。
でも現実は僕らには冷たく重すぎた。

だから粉屋が、「お嬢さん、そんな安っぽい代物じゃあ、自決なんて無理だよ」
って、君に言ったとたん、
君の顔からはみるみる血の気が引いていって、
死人のように蒼ざめてしまったんだよね。

「自殺するのに理由なんかいらない。この現実がすべてを物語っているじゃない」
と君は言ったね。
僕は僕なりの稚拙な考えで考えてみたけれど、
やっぱり君を今年になってからあの世に旅立つ16人目の自殺者として紙面を飾らせるワケにはいかないと思ったんだ。
そう考えた僕は、両目をしっかりと開けていたにもかかわらず、
盲目同然だったんだね。

だから粉屋が、「お嬢さん、そんな安っぽい代物じゃあ、自決なんて無理だよ」
って、君に言ったとたん、
君の顔からはみるみる血の気が引いていって、
死人のように蒼ざめてしまったんだよね。

「さあ、生まれてきた場所へ戻りましょう」と君は言った。
事実もうそれしか方法がなかったし、もうすでに津波の真っ只中にいたんだし。
それでも僕は皮肉を込めて遠回しに、「ああ、これで君は人魚姫みたいに海の泡となれるね」と言ったら、君はあんなにも哀しげに微笑んだ。
だからもう怒る気にも、なれなかった。

もし音楽が愛を糧とするのなら、
世界は明るい笑い声で満ち溢れていていいはずなんだ。
それと同様に表裏一体で
このうす汚れた現実が真っ当な真実であるとすれば、
僕はただ口をダンボール箱のようにして
頭の中にその事実を放り込むしかないだろう。
だから海に飛び込んだんだ、君と一緒に。
海底めがけて、真っ逆さまに。



もしこの訳がリードのいわんとする本当の真意であるとすれば、彼はさらにこのように付け加えていたかったのだと思います。以下はわたしの単なる想像かつ創作です。

本気で死に急いでいた君は見事に死んでしまったけれど、
中途半端だった気持ちでいた僕は結局は死ねなかったよ。
今もこうして生きている。
相変わらず変わり映えのしないこの現実社会の片隅で、
相変わらず変わり映えのしない音楽と向き合っている。
でもね、それもそう悪いもんじゃあ、ないよ。
そう、そんなに捨てたもんじゃないんだ。
君にはわかってもらえないかもしれないけれど、
もし君が今でも生きていて、そして僕と同じように年をとっていれば、
いつかそのことを理解することができる日が来ていたかもしれないね。

このように、この曲は彼個人の死んだ恋人のためのレクイエムで、その内容が温かな愛と優しさで満ち溢れているからこそ、この曲は現在にいたるまでこれほど多くの人々に愛され続けてきたのではないでしょうか。

*Special thanks to Barcarolle