最近亡くなった義母のことをよく思い出します。
なぜだろう・・
それは、子どもが結婚したことと
孫の存在に深い関わりがあります。
子どもたちが巣立って、
現在は昔と違った形の家庭がある。
静かな日常がある。
子どもが小さい頃は、教育に関する価値観の違いや
家庭の在り方(義母のことも含めて)、理想通りにいかない現実に
私たち夫婦は、話し合ったり、時には口論になったり、
そんなことが日常茶飯事だった。
それは家族が、子どもたちのいる家庭が
少しでもいい方向に、いい環境に整えたいと思うから。
避けては通れない、現実と向き合わなければならないから。
その苦境を夫婦で向き合わなければ、いい方向性や結果が見えてこない。
模索しながら前進する。正解なんて分からない。間違いだらけかもしれない。
ありとあらゆる方法、解決策を導き出して選択していくしかない。
最終的に親として私たち夫婦が望んでいる先は同じ、
だけどその過程とそこに至る考え方の相違が常に生じる。
苦悩する。模索する。話し合う。
そんな黒歴史?を嵐のように通り抜けてきた今、
義母も亡くなり、子どもたちもそれぞれ自分の道を歩く今、
私たちは、子どもたちの幸福と、孫たちの健やかな成長を願う日々。
何かあった時にはサポートできるよう、
親としてどんなことができるか模索する。
我が家に遊びに来たがる孫たちを迎える側となった。
子どもが結婚することも、出産することも、孫が増えることも
その節目節目で、私たち夫婦は親としてできることを考える。
ジジババとして何をしてあげられるか、いつも考える。
マイホームを持つ
お引越しする
里帰り出産する
子どもや孫が体調を崩す、入院する
孫の成長の節々でお祝い行事をする
両家揃って神社に参拝する
孫を囲んでお祝いの席を設ける
初節句の人形を新調する
七五三を祝う
幼稚園入園の準備を手伝う
もうすぐ小学生、ランドセルはどこのお店で買おうか
色々調べて、いつ、どこで・・・と相談する
そういう事柄を迎える度に、
私は義母を思い出すことが増えた。
あの時、義母も同じような気持ちで
孫たちのお祝いをしてくれたのかな
ひな人形、五月人形、決して高価な代物ではないけれど
義母の精いっぱいの気持ちを届けてくれたのかな
有難いな
あの頃はそこまで思えなかった
今になって感謝の気持ちが溢れてくる
義母の近くで成長した孫は、うちの子どもたちだけ。
夫の兄弟姉妹は皆義母から離れて行った。寄り付かなくなった。
本当なら子供たちには、一緒に遊べるはずだった従妹がいる、
だけど幼い頃に会ったり遊んだりしたことがない。
大きくなるまで顔も知らなかった。正真正銘の従妹同士なのに。
あれだけ仲良しだった兄弟姉妹の決別。長年続いた疎遠関係。
そうやって義母から遠ざかって行った子どもたち。
義母が晩年「寂しい、寂しい」を言い通したのは
もしかしたら、そこにあったのかもしれない。
自分の子どもたちが寄り添ってくれない、
それは寂しかったことでしょう。
私たち夫婦が、何度かの離婚問題を切り抜けて
ここまで行き着いたのは、最終的には
家族をバラバラにしたくなかったからなのかな
子どもたちの安心と居場所を守りたかったのかな
夫婦の在り方より、家族を失いたくなかった、
というのが正直な気持ち、夫も同じだったのだろう。
今こうして、子どもと孫を迎えられること
家族の団欒があること・・
これで良かったのかな
親として大したこと何もできないけれど
せめてもの罪滅ぼしを今できているのかな
何が正解か分からない
これからの人生も分からない
それでも今は穏やかに過ごせていることが幸せ。