先日、ある方の口から
「供養というのは気持ちの問題ですから」
という言葉を聞いて、ハッとした音樹です。
私は今まで、供養というのは
相手のため、亡くなった人や動物
命を終えたもののために
するものだと思っていたのね。
でも、そうしてあげたいという
“自分の気持ち”でするものじゃないのかと
気が付いたのでした。
なぜなら、供養をすることで
“自分の気持ち”が落ち着くからです。
気が済むんだよね。
以前、TVのドキュメンタリー番組で
身寄りがなく生活力もない方々の
仕事を作ったり、生活をサポートしたり
そういう方々が亡くなった場合には
ちゃんと葬儀までしてあげている女性を
見たことがあります。
えらいなぁと思って見ていたのだけれど
最後まで面倒を見ることが
この女性にとって納得のいくやり方なのでしょう。
そうすることで、この女性も気持ちが救われて
結果として、徳が積まれていくのでしょうね。
例え他人に、そこまでしなくても、と言われても
逆に、事情があって、いまは満足にできなくても
そうしてあげたい、供養したいという気持ちが
形より大事な気がします。
私が思うに、供養は自分のためにするもの。
一つ、学びがあった音樹でした。
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