ご紹介した動画は、
「ウラジミール・ドロホフと
ウラジミール・コンドラ」
でした。
「バレーボール界のアラン・ドロン」
と云われた、端正で甘い顔立ち。
当時はアイドル並の人気があった
ウラジミール・ドロホフさんなのですが、
検索してもなかなか動画が
出てきてくれない
かつての有名人なのでした。
名将プラトーノフ監督の追悼番組で、
かつて率いた
ソ連男子ナショナルチームが
オリンピックで
金メダルを取った時の選手として、
登場する動画が
あるぐらいだったのでした。
しかしオリンピック効果の
おかげでしょうか?
今日は検索してみたら、
少しだけですが
新しい動画を見つけることが
できました。
次にご紹介する動画は、
2015年に公開された動画なので、
61才ぐらいの時の
映像だと思います。
お年の割には、若いのですが、
やはりそれなりに苦労があったのかな・・・?
と思わせる映像なのでした。
ドロホフさんは、旧ソ連邦では
グルジア共和国内に内在する
アプハーズ自治共和国
スフーミの出身なのでした。
ソ連邦から独立したグルジアと
アプハーズ自治共和国では、
時々、内戦が勃発しています。
ドロホフさんは、たぶん今も
サンクトペテルブルグに
住んでいるのではないかと思うのですが、
ご両親とお兄さま家族は
そのままスフーミに住んでいた
可能性もある。
そうするとやはり、
知り合いが多いぶん、
心痛も大変なものだっただろうと
思うのでした。
さて、当時の最強ソ連チームには、
ラトビア共和国出身の
パベル・セリバノフという
やはりオールラウンド・プレイヤーが
いたのですが、
この方の(比較的)最近の動画を
見つけましたので、
こちらも一緒にご紹介したいと思います。
この方は、ドロホフさんよりも
一才年上で、ドロホフさんの
親友でした。
学生結婚されていて、
20代前半で小学生ぐらいの
息子さんがいましたので、
たぶん孫や、もしかしたらひ孫も
いるかもしれない方なのですが、
(昔は荒々しい野性的なプレーが
印象的な選手だったのですが)
優しいグラン・パ的な顔になられていて、
かなり驚きました。
ただ、ラトビア共和国は、
ソ連から離脱し、
EUの一員となった国なので、
こちらもやはり、
オリンピックの英雄とはいえ、
微妙と言えば微妙な立場だろうと、
思われるのでした。
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さて、ドロホフさんと
セリバノフさんは、
若い頃、イギリスのロック・バンド
“スモーキー”の曲が大好きだと
インタビューで答えていたのですが、
最後の動画は、
そのスモーキーの大ヒット曲で
「真夜中の恋」
(I'll Meet You at Midnight)
です。