だいぶ長いことブログをサボっておりました。

いろいろ夫にも変化がありましたが、それはまたあらためて。

 

夫が命にかかわる病気に2つも罹ったことはあまり周りの人に話していないのですが

話した数少ない人のひとりがたまたま脊髄小脳変性症の患者さんと接したことがある方でした。

 

その脊髄小脳変性症の患者さん曰く

「自分は脊髄小脳変性症でよかった」とのこと。

これが脳梗塞などだったら前触れもなくいきなり体が不自由になるところだったと。

脊髄小脳変性症だからある程度心の準備期間が持てると。

 

そうかもしれない。

少なくともその患者さんにとってはそうなのでしょう。

 

でも私は「そうですね。うちの夫も多系統萎縮症でよかったです」とは思えなかった。

むしろイラっとしてしまい、つい「まあそう思うしかないってことなんでしょうね」と言い返してしまった...

 

なぜイラっとしたのか考えてみたのですが

この「ほかの〇〇の人よりはまし」というのは主観でしかないんですよね。

客観的にどちらがましかなんて比較のしようがないわけです。

その主観を押し付けられるのが辛いというのがまず一つ。

 

その主観によって当事者や介護者の苦しみが相対的に軽く扱われる(ように感じる)のが更に辛い。

「もっと辛い人がいるんだから我慢しろ」と言いたいわけではないだろうけど

聞いた側としては更に自身の悩み苦しみを語る意欲を削がれてしまう。

それなら「みんなそれぞれ辛い」でいいじゃないかと思うのです。

励ましたりなだめたりするときに「〇〇よりまし」というのは筋が悪い。

 

ただ言ってくれた方には当然全く悪気はなく、単純に励まそうとしただけだったと思います。

それにあまり言われたことに対して反応し過ぎて心を閉じてしまうのも良くないなと。

そもそも自分とて結構考えなしに言葉を発して後悔することも多いタイプだし、あまり人のことを言えた義理でもないか。

 

大きな病気に罹った方や介護者の方にかける言葉って本当に難しいな。

同じ病気でも人によってとらえ方は人によって違うし

私も夫の病気告知直後と今ではいろいろ考えも変わったし、今後更に変わっていくだろうし。

そもそも罹患者と介護者はそもそも立ち位置が違うのだよなぁ。

罹患者と介護者、その数だけ考えや心のツボがある。

そんな立場の違いや考えの違いを乗り越えた先にある言葉を見つけるのは

いい年して未熟な自分には難しいのです。