4、5年くらい前だろうか?

もっと前なのか、覚えていないが、

 

Youtubeで怪談を聴くのが楽しみになった。

 

最近は、もう、怪談界の人々を知り尽くしてしまったので、その界隈の人々に興味は無くなった。

ただ、朗読の声が心地よい人、

あるいは、今の様にブームになる前の古い録音媒体などの方が聴いていて楽である。

 

 

ちなみに、私は霊などを全く信じていない。

 

 

この、霊という概念は、左脳文明が生み出したものである。

左脳文明は、約3000年前に粘土板やパピルスに文字を書き残すことから始まったのだ。

 

 

それ以前の人類は、右脳が語りかける、神の声を聴いて生きていた。

 

 

左脳は、文字によって、時間という概念を生み出し、"私"という概念を生み出した。

"私"とは、自己とか、自我というものである。

 

 

そして、霊とは、

左脳的人々が生み出した神という概念に近いものである。

 

 

霊や神は、自分("私")という存在に対する、見えない他者を意味している。

かつての右脳文明では、それは、自分自身からの声であり、自分自身から生まれたものでしかなかった。

 

 

それが、文字(左脳)文明の開幕とともに、

"私"という自我が生まれ、その自我に対する他存在として、

 

 

神、霊が生み出されたのである。

 

 

人間は、"私"という架空の存在を左脳的に肯定しているが、

自分たちの体や、各機能、精神が、どの様に変化し、影響を与えているのかという事実に対しては、

 

 

未だに無知のままである。

 

 

"私"という定義が、例えば、髪の毛をも意味するのか?爪まで意味するのか?

その問いかけに対する答えさえ知らない。

 

 

多くの人々が、

"私"と言って、自分自身の胸を指さしてはいるが、

 

自分自身の体が悲鳴を上げていても、

その危険信号に、本人は全く気がついていないままである。

 

 

"私"というものが何を意味するのかさえ不明であるのに、

 

なぜか、神や霊という、自分以外の見えない存在がいるはずであると、

現代の人々はその概念を受け入れ、信じているのである。

 

 

 

霊、神とは、

 

私が無ければ、生まれなかった言葉である。

 

霊、神とは、

 

私以外の、見えない他存在を、

人類が、妄想の果てに生み出したものなのである。

 

 

つまり、

 

 

霊、神の前に、

 

私が生み出されたのである。