まごころ。

 

真心といえば、人は何を想像するのだろうか?

 

正直で、嘘偽りのない自分自身の姿を想像するのだろうか?

 

Deeplで、まごころを英訳すると、Sincere Heartと表示された。

 

Sincere の意味を調べると、誠実な、ということらしい。

 

 

 

英訳上の、まごころは、ごまかしのない、純粋な、という意味らしい。

 

さて、では、心とはなんでしょう?

 

 

英訳すれば、Heartであり、心臓や胸を意味しており、

比喩的に中心や核心を意味しているようです。

 

 

日本語で、これらの言葉を表現する言葉は、本心とか、本音とも表現されています。

 

 

つまり、心は中心で核心であるのにも関わらず、

その言葉に、さらに”本”という言葉を付け加えなければならないということから、

 

核心である心に、”本”を加えて、本心、本音と表現しているのです。

 

 

 

これが意味することは、

 

円には、中心がありますが、さらにその中心の中心を意味している言葉が、

 

本心、本音、であるということらしいです。

 

 

まごころは、心と言う、人間の中心の感情、精神に対して、

さらにその中心を示す為に、生み出された言葉なのでしょうか?

 

 

 

ちなみに、私の心は、絶えず揺らいでいます。

ある時は、右に傾き、ある時は左に傾きます。

 

 

つまり私には、

 

確固たる私がいるのかさえ、十分に自信がありません。

 

 

従って、私の本心とは、

 

私自身で、決断する以外に道は無いような気がしています。

 

従って、わたしにとって真心とは、

 

私自信が、決断を下した判断を意味している様な気がします。

 

 

しかし、では、

 

私とは、なんでしょうか?

 

本当に、私は存在しているのでしょうか?

 

 

なぜなら、私自身が、かつては賛美していた外部の事柄を、

簡単に賛美しなくなる経験をしているからです。

 

 

私自信が、これほどいい加減なのに、なぜ、

さらに中心である心の、さらに中心を表現しなければならないのか、

 

 

私には、理解できないでいます。

 

 

 

 

 

強いて言葉にすれば、まごころとは、

 

 

 

”変えることのできない、わたしという存在。

 

 

しかし、私自身は、そのわたしを知らない。”

 

 

 

とでも、表現できるのかもしれません。