私の家族は知的障害があります。


子供の頃を思い出すと言葉が遅かったな。

当時は療育がなく言葉の遅れがあり、年長になっても会話ができないため擬音が多く、私が言った言葉を同じようにマネすることができませんでした。とても違和感がある状態でしたが、グレーゾーンのまま通常学級の小学校に入学。

学生時代は学習についていけなかったり、友達とコミュニケーションを取ることが難しく、辛い思いをしたようです。


大人になって仕事を転々として、転職先でストレスが強くかかり精神科に強制入院。同時に知的障害が発覚しました。


うちのケースで考えると当時は療育がなかったため適切な時期に療育が受けられなかったこと。

そして小学校進学時に両親の意見がわれて、父は通常学級に進学してダメならその時に考える。母は養護学校(当時の呼び方)進学して本人の成長に合わせてほしい。私も母と同意見で、姉として違和感があったけど聞き入れてくれませんでした。


今はグループホームで生活をして日中は作業所で働き、自分の障害に合った支援を受けながら実家から離れた場所で生活してます。


私は通常級に進学して、家族の生きづらさを見て悲しい気持ちにもなりましたし、現在は両親は他界してますが、知的障害が発覚した当時は将来親の代わりをして私が面倒をみないといけないという不安もありました。


退院後に自宅から近い精神科の通院とデイケアに行き、就労やショートステイ等を利用して自立に向けた支援をしていただき、自宅にヘルパーを入れました。

高齢の親が持病が悪化して介護がはじまり入退院を繰り返しターミナルが近づく頃には役所に繋げてくださりグループホームが見つかり居場所の確保ができました。

当時は私はフルタイムの仕事があり、親の介護と知的障害の家族のケアと自由な時間はありませんでした。

支援できるところに関わりを多くもち預ける時間が増えるほど支える側の負担は減ると思います。


今は、見た目は大人・心は小学生の家族とたまに会って話してます。


性別や障害含めていろんな個性や生き方があって良い世の中だと思ってますが、なかなか理解されにくい場面もあります。家族の中に障害があるときょうだいの中で支える側になり、後回しになってしまう。。


いろんな問題があるかもしれませんが、個性や生き方が受けいられて住みやすいやさしい世の中になりますように⭐