ループ






























ひさしうてわろし





わろし













































私のノートは愛のことでいっぱいなの。女だから。女ってくだんないよね。





性別でひとを判断することはないけども自分はまた別だよね。





自分が自分を見るときには、主観的にどうこうというよりかは「更なる客観視(客観よりもより客観的な第三者からの目線)」を基に主観を作るのだから、つまりひとは環境に育つんだよね。





環境が私を育てるわ。私は無意識のうちに育つ。ね。





私は私で、私のもので、あらゆるひとに干渉されない権利をもつ個体だけれども、「私」というもののなかに既に環境が含まれているのだから不可思議パラドックス。





あなたが私を形成する。





私の一部が確実に誰かの一部でもあること。気持ち悪いこと甚だし。





自我なんて本当はない。私の素ができた瞬間から私の大半は父と母で出来ていて、誕生した瞬間から、外気に触れ、他人に触れ、嫌悪やら愛やら社会的教訓やら人間的本能やらに触れ、そして学校という社会の縮図と呼ばれる恐ろしい箱に投入されて、そこで私は学問に洗脳される。





自我の生まれる隙など無い。それほどまでに絶え間無く、私は環境に私というものを刷り込まれている。





不確かな存在。切り刻めばいつの間にかふと消えてしまうようなもの。私は私を解き明かせないし、それは人類が人類を解き明かせないのと似ているけれども少し違う。私というものはただの概念でしかない。だから無理に解かなくっていい。

























遠くの方に、あなたという存在がある。





これは絶対的なものであり概念ではない。





どこからどこまでをあなたと呼ぶのかは定義されてないけれど、だいたいあの辺があなた、っていうのはわかる。少なくとも私が私を見るのよりかは鮮明に見える。





大切なのは客観であり、主観ではない。





だからと言って主観が不要なわけではもちろんないけれど。





少なくとも、私にはそう。





「更なる客観視」の眼を極めたいな。






























眠いです。