「わたくしに肉塊以上の価値を見出だせるひとがいるとするなら、それは他ならぬあなたなのです」



と彼は言った。



創造性の欠陥は、さほど大した問題ではないかも知れない。二人のうち一人が考えることができて、そうでない方が既存している事実やら事象の原理、傾向、過去にあったあらゆる可能性をただ頭の片隅に置いておくことができれば。そしてその二人がほぼ永久に限りなく一人に近い距離、存在で有る限りは。



彼は私に言ったのではない。ときに彼は彼ではなく、もう片方の、よりクリエイティブな面をした人間の目やら耳やら脚やらなんやらとしてそこに居る。



私には、いつも、そのことこそが最も完全な状態に見えた。



誰に対しても良い顔をする必要はある。誰もそれをしなくなったら人間は野生化する。ただ、全員がそうしていなくても、何となく秩序は守られていくんだと思う。どうせそうなら、自分がそうでいたかったとも思う。



「我々の人生がつまらないのは、お前たちがひととしてあまりにもつまらないからだ」



「寄るな。触れるな。お前たちとは住む世界が違う」



最低限の愛するひとがいれば、他には確かになにもいらない。コミュニケーション能力が衰えゆく以外にはダメージもない。彼はうまくやっていくだろう。



ところで私は、一般的でない言い方ではあるが、社会人である。



互いの世界はそれとなく交わりはするが、どちらかの何らかの含有であるとかそういった関係ではないと思う。そこに決定的な差が生まれる。



人間は、生まれながらにして同族嫌悪の塊だと思う。



だからひとは彼に惹かれるのだと思う。



ひとは、彼の醸し出す独特の感覚にほぼ無自覚的に群がっては、予想した本質とのギャップに傷つき、そのことで必要以上に彼を傷つけすぎる。



彼はますます遠ざかっていく。ひとがあまりにもつまらないがゆえに。



生きるなら、相互に与え、与えられる関係でなければいけないのだと思う。一方的な愛や、自分勝手な悦楽は、つねに彼を殺す。



ならば、要らないと、言わせてはやれないのだろうか。



彼の世界を、こちらから、放してはやれないのだろうか。














「彼とは一体誰のことです?」



「直にわかりますよ。直にね…」



「…?」



「大丈夫です、あなたには、関係のないことですから」



「そうですか…」



「そうなのです」













彼のことは、ずっと秘密でね。