きょうは我がエリアは前日からの予報通り、大雪。外に一歩も出れないスノーデーで、キャビンフィーバーよろしく閉じ込められてしまいました。
そんな時に思い出す。。年末のある悲しい出来事。。
それについて、きょうは書かせてくださいね。残念ながらヴェラのバッグは出てきませんが、(自粛)あしからず。。その悲しい出来事とは。。
娘ちゃんのデイケアのクラスの先生の一人が、急病で倒れたことを年末のこちらの投稿 で書きました。
実は、その先生、お亡くなりになりました。
先生の名前はリンダ先生といいました。まだ64歳。
おばあちゃんのように慕われていて、みんなに愛されていた、そして品のある先生でした。
全く健康に陰りがあるようには見えず、娘ちゃんら2-3歳児と一緒に、キッズスポーツのクラスやダンスのクラスまでこなし、動き回っていた、まさに「Full of Life」そのものだったのに。
彼女には娘が2人、孫娘が3人いたそうです。
年末、デイケアが冬休みに入ると共に、上の娘さんの住む州へ、先生は10時間強かけてひとりロードトリップに出かけたそうなんです。何度も娘さんのところに出向いたことがあった先生、長いロードトリップも、「車の中で音楽や、本の朗読のCDを聞いていれば、すぐよ」と慣れていたようです。
出発日の前に言葉を交わしたデイケアの園長によると、リンダ先生は、「もう車に荷物は全部積んであるの、用意は万端よ。」そう明るく笑って、また年明けに会いましょうね、とハグを交わし元気に、そしていつもと変わりなく去っていったそうです。
でもまさかそれが最後になってしまうなんて、誰が思ったことでしょうか。。
時は師走、クリスマスを前に家路を急ぐ人々の車に混じって、いつも通り、高速を飛ばし、娘さんや孫娘さんの顔を思い浮かべながら、いくつもの州を通り過ぎたであろう先生。。でもその途中、あと数時間あまりで娘さんのところに到着するだろう場所で、具合が悪くなってしまったのだそうです。
路肩に車を止めて休んでいたところに、運命の時が訪れてしまいます。何か様子がおかしい、大丈夫ですか?と先生の様子を見に来た通りすがりの人が、車を停める際、先生の車に後ろから軽く衝突、フェンダーベンダーを起こしてしまったのです。
それを見て、運転席から立ち上がって外に出た先生は、なんとそこで心臓発作を引き起こし倒れてしまいました。。運ばれた先の病院で、30分に及ぶCPRにより心臓は再び鼓動を始めたものの、脳に酸素が行き渡らない時間が長すぎたそうで、意識は不明。脳の機能が全部シャットダウンしてしまったようなのです。
倒れた日から5日後、一度も意識を取り戻すことはなく、リンダ先生は駆けつけたご家族に看取られて、残念ながら息を引き取られました。
この知らせはすぐにデイケアの園内に広まり、デイケアでは「あまりのショックに言葉も出ない人も多いでしょう。ソーシャルワーカーを呼んで、特別に悲しみと向き合うためのセッションをしてもらいますので、希望者は参加を。」との呼びかけがあったほどです。このセッションでは、子供達に「死」を伝える方法についても、話があったようですが、残念ながらテディは都合が悪く行けませんでした。
そして新年が明けました。
リンダ先生のいない教室。もう決して彼女がこの部屋に帰ってくることはない。。そんな娘のデイケアの教室に入るたびに、言い得ない虚無感を感じました。
先生の逝去を知らない娘ちゃんや、娘ちゃんのクラスメートたちが、何もわからずに新しい先生と共に毎日を過ごして行く中で、私たちママさんたちや、同僚の先生たちは、悲しみの行き所が見つけられないまま、ちょっと悶々と毎日を過ごしていた、と言えるでしょう。
あんなに健康で、あんなに人生を謳歌していた人が、突然この世を去るなんて、信じられない。。皆さんもそんな経験をしたことはありませんか?テディは正直言って、この先生とそれほど個人的に仲が良かった訳ではなく、長年の知り合いだったわけでもありません。娘ちゃんのクラスにいるおばあちゃん先生、という認識で、朝、娘をドロップオフするときに、一言二言、言葉を交わす程度の関係でした。
でも、なぜだかわからないけれど、とってもショックでショックで。。その悲劇的な最後の日のことを知れば知るほど、ぽっかりと穴が開いてしまったような虚無感に襲われて。。いてもたってもいられなかったのです。
そんな時に思い出す。。年末のある悲しい出来事。。
それについて、きょうは書かせてくださいね。残念ながらヴェラのバッグは出てきませんが、(自粛)あしからず。。その悲しい出来事とは。。
娘ちゃんのデイケアのクラスの先生の一人が、急病で倒れたことを年末のこちらの投稿 で書きました。
実は、その先生、お亡くなりになりました。
先生の名前はリンダ先生といいました。まだ64歳。
おばあちゃんのように慕われていて、みんなに愛されていた、そして品のある先生でした。
全く健康に陰りがあるようには見えず、娘ちゃんら2-3歳児と一緒に、キッズスポーツのクラスやダンスのクラスまでこなし、動き回っていた、まさに「Full of Life」そのものだったのに。
彼女には娘が2人、孫娘が3人いたそうです。
年末、デイケアが冬休みに入ると共に、上の娘さんの住む州へ、先生は10時間強かけてひとりロードトリップに出かけたそうなんです。何度も娘さんのところに出向いたことがあった先生、長いロードトリップも、「車の中で音楽や、本の朗読のCDを聞いていれば、すぐよ」と慣れていたようです。
出発日の前に言葉を交わしたデイケアの園長によると、リンダ先生は、「もう車に荷物は全部積んであるの、用意は万端よ。」そう明るく笑って、また年明けに会いましょうね、とハグを交わし元気に、そしていつもと変わりなく去っていったそうです。
でもまさかそれが最後になってしまうなんて、誰が思ったことでしょうか。。
時は師走、クリスマスを前に家路を急ぐ人々の車に混じって、いつも通り、高速を飛ばし、娘さんや孫娘さんの顔を思い浮かべながら、いくつもの州を通り過ぎたであろう先生。。でもその途中、あと数時間あまりで娘さんのところに到着するだろう場所で、具合が悪くなってしまったのだそうです。
路肩に車を止めて休んでいたところに、運命の時が訪れてしまいます。何か様子がおかしい、大丈夫ですか?と先生の様子を見に来た通りすがりの人が、車を停める際、先生の車に後ろから軽く衝突、フェンダーベンダーを起こしてしまったのです。
それを見て、運転席から立ち上がって外に出た先生は、なんとそこで心臓発作を引き起こし倒れてしまいました。。運ばれた先の病院で、30分に及ぶCPRにより心臓は再び鼓動を始めたものの、脳に酸素が行き渡らない時間が長すぎたそうで、意識は不明。脳の機能が全部シャットダウンしてしまったようなのです。
倒れた日から5日後、一度も意識を取り戻すことはなく、リンダ先生は駆けつけたご家族に看取られて、残念ながら息を引き取られました。
この知らせはすぐにデイケアの園内に広まり、デイケアでは「あまりのショックに言葉も出ない人も多いでしょう。ソーシャルワーカーを呼んで、特別に悲しみと向き合うためのセッションをしてもらいますので、希望者は参加を。」との呼びかけがあったほどです。このセッションでは、子供達に「死」を伝える方法についても、話があったようですが、残念ながらテディは都合が悪く行けませんでした。
そして新年が明けました。
リンダ先生のいない教室。もう決して彼女がこの部屋に帰ってくることはない。。そんな娘のデイケアの教室に入るたびに、言い得ない虚無感を感じました。
先生の逝去を知らない娘ちゃんや、娘ちゃんのクラスメートたちが、何もわからずに新しい先生と共に毎日を過ごして行く中で、私たちママさんたちや、同僚の先生たちは、悲しみの行き所が見つけられないまま、ちょっと悶々と毎日を過ごしていた、と言えるでしょう。
あんなに健康で、あんなに人生を謳歌していた人が、突然この世を去るなんて、信じられない。。皆さんもそんな経験をしたことはありませんか?テディは正直言って、この先生とそれほど個人的に仲が良かった訳ではなく、長年の知り合いだったわけでもありません。娘ちゃんのクラスにいるおばあちゃん先生、という認識で、朝、娘をドロップオフするときに、一言二言、言葉を交わす程度の関係でした。
でも、なぜだかわからないけれど、とってもショックでショックで。。その悲劇的な最後の日のことを知れば知るほど、ぽっかりと穴が開いてしまったような虚無感に襲われて。。いてもたってもいられなかったのです。
そんな中で、先生がお亡くなりになってから、実に3週間後、娘ちゃんの通うデイケアを経営しているシナゴーグ(ユダヤ教のお寺)で、先生のメモリアルサービスが開かれることになり、もちろん私も足を運びました。先生は近年は合計4箇所の学校の先生をしていたほか、地域のヘブライ語学校の長~い先生歴を誇る、大ベテランでした。そしてその穏やかな性格と、とある特徴のある教え方によって、人気の先生だったそうなのです。ちなみに上の写真はシナゴーグの入り口に掛けてある、共有のプレイヤーショール(お祈り用のショール)です。
ヘブライ語学校。。ユダヤ系の子供たちが、そのヘリテージを学ぶために通う学校ですが、すべての子どもがユダヤ教の聖書にあたる「トーラ」を喜んで勉強するわけはなく。。中には嫌々勉強させられている子供もいたそう。そんな時に、リンダ先生は「トーラの勉強は、スイートなのよ。」と授業の最後に皆にハーシーズのキスチョコを配っていたそうなのです。そのおかげと、先生の穏やかで茶目っ気たっぷりの性格から、先生のクラスは大人気だったそう。上の写真はシナゴーグの入り口に置いてある、共有のヤマカ(お祈り用の帽子)です。
メモリアルサービスには、先生にお世話になった生徒達やその父兄など、合計400人以上が集まり、シナゴーグの駐車場は満車になっていました。会場の入り口には、娘さんたちが作ったのであろう、リンダ先生の思い出の写真の、1000枚以上はあったでしょうか、コラージュが飾られていて、とても温かく素敵でした。
ユダヤ教のしきたりでは、なるべく飾りの少ない棺にご遺体を納め、死後2日以内にただちに埋葬するのが決まり。お葬式もただちに開かれる、というのが習慣です。しかし今回はお葬式ではなく、メモリアルサービス、という形で3週間も経った後に会が開かれました。その理由は、後で聞いた話ですが、先生が生前臓器ドナーに登録をしていて、お体はアメリカでは、そしてユダヤ教徒では大変珍しい火葬に付されたからのようでした。
また、お香典制度などのないアメリカ。友人の方々が、先生のご逝去のあと、ご葬儀の費用などを支援する、オンラインファンドレイザーを始めていたのを見ました。そこで私たち夫婦も献花の代わりに、少額を寄付させていただきました。そのほうが実用的で良いアイデアだと思います。
入り口に飾られていたのは、生前の先生の思い出を象徴するような、大きなハーシーズチョコレートの置物たち。そしてまるでこれから出発するかのように、バッグをかかえて車の前に立つ先生の写真が胸を打ちました。
棺も何もない、御遺影があるわけでもない、シナゴーグのメインサンクチュアリでのメモリアルサービス。地域の400人余りの人々が、ただリンダの人生をたたえ、締めくくるためだけに集まったのです。これってすごいこと。
ラビ(お坊さん)の言葉の中で、「リンダがどのように亡くなったのかではなく、どう生きたかを。そして、リンダが何を得たのかではなく、何を人々に与えたのかを考えましょう。」、というのが印象的でした。
そして20年以来の付き合い、というそのラビですら、「廊下を曲がるとそこに彼女がまだいるような気がする。」と。彼女の突然の死は、私たち地域全体にとっての損失。。。そんな気持ちを、日曜日の朝、他の参列者と共有できたような気がしました。
「なぜこのように彼女の命が突然失われたのか、私たち皆が理解に苦しんでいます。」と、ラビの言葉が私の気持ちを、そして多くの参列者の気持ちを代弁してくれました。
最後に「彼女のハートは働くのをやめてしまったけれど、彼女のハートが与えてくれたものを、私たちは忘れない」そんな言葉を聞いて、ユダヤ教特有の物悲しいお葬式の歌に身を任せながら、ここ数週間の悲しみや喪失感から、ようやく少しだけ解放されたような気分になりました。
出口でリンダ先生のご遺族が、参列者にバスケットに入ったこれを配っていました。ハーシーズキスチョコです。先生の最後の授業にでも出た気分です。。家で待つ娘ちゃんの分と、私の分、二ついただいて帰りました。
最後に在りし日に、子供たちに囲まれるリンダ先生(黒いセーターとズボンの女性)のお写真を。いつ見ても、子供たちに囲まれていた先生でした。娘ちゃんはこんな素晴らしい先生に数ヶ月間だけですが、見ていただいて、本当に幸せだったと思います。
いつ何があるかわからないのが人の人生。毎日家族や周りの人に、愛情や感謝の念を持って、それをきちんと伝えながら生きていかなければいけないな。。とつくづく思った今回の出来事でもありました。
周りに与えるだけ与えて、人生を早足で走り抜けて行ってしまった、愛すべきリンダ先生に合掌。今までありがとうございました。。。どうぞゆっくりと休んでいただきたいと思います。
・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚
長文失礼。。最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。次回からはちゃんとヴェラが出てきます。。
・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚
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ディスクレイマー
当 ブログは投稿者のテディが個人的にファンである、ヴェラ・ブラッドリーのバッグの写真やセール情報をあくまでも趣味で掲載していくものです。ヴェラのバッ グを含む何かを商業目的で宣伝したり、読者をヴェラを含む外部サイトに意図的に誘導し利益を得るような内容では決してありませんので、ご了承下さい。ま た、私はヴェラ・ブラッドリー社の社員ではありませんし、同社とは一切つながりのない、一ファンのコレクター/消費者であることを、お断り申し上げておき ます。
また、最近、ヴェ ラやブログの投稿内容に全く関係がない、ご自身のブログへの誘導目的だけのためのコピー&ペーストのコメントを残して行かれる方が、多くいらっしゃいま す。ご自分のメールマガジンや商品の宣伝、またご自分のネットビジネスの広告のためだけにコメントを残されても、当方全く興味はありませんし、宣伝効果も ありませんので、是非ご遠慮、自粛いただければ幸いです。そうしたコメントなどは発見次第、削除させていただいておりますので、あしからずご了承下さい。
ヘブライ語学校。。ユダヤ系の子供たちが、そのヘリテージを学ぶために通う学校ですが、すべての子どもがユダヤ教の聖書にあたる「トーラ」を喜んで勉強するわけはなく。。中には嫌々勉強させられている子供もいたそう。そんな時に、リンダ先生は「トーラの勉強は、スイートなのよ。」と授業の最後に皆にハーシーズのキスチョコを配っていたそうなのです。そのおかげと、先生の穏やかで茶目っ気たっぷりの性格から、先生のクラスは大人気だったそう。上の写真はシナゴーグの入り口に置いてある、共有のヤマカ(お祈り用の帽子)です。
メモリアルサービスには、先生にお世話になった生徒達やその父兄など、合計400人以上が集まり、シナゴーグの駐車場は満車になっていました。会場の入り口には、娘さんたちが作ったのであろう、リンダ先生の思い出の写真の、1000枚以上はあったでしょうか、コラージュが飾られていて、とても温かく素敵でした。
ユダヤ教のしきたりでは、なるべく飾りの少ない棺にご遺体を納め、死後2日以内にただちに埋葬するのが決まり。お葬式もただちに開かれる、というのが習慣です。しかし今回はお葬式ではなく、メモリアルサービス、という形で3週間も経った後に会が開かれました。その理由は、後で聞いた話ですが、先生が生前臓器ドナーに登録をしていて、お体はアメリカでは、そしてユダヤ教徒では大変珍しい火葬に付されたからのようでした。
また、お香典制度などのないアメリカ。友人の方々が、先生のご逝去のあと、ご葬儀の費用などを支援する、オンラインファンドレイザーを始めていたのを見ました。そこで私たち夫婦も献花の代わりに、少額を寄付させていただきました。そのほうが実用的で良いアイデアだと思います。
入り口に飾られていたのは、生前の先生の思い出を象徴するような、大きなハーシーズチョコレートの置物たち。そしてまるでこれから出発するかのように、バッグをかかえて車の前に立つ先生の写真が胸を打ちました。
棺も何もない、御遺影があるわけでもない、シナゴーグのメインサンクチュアリでのメモリアルサービス。地域の400人余りの人々が、ただリンダの人生をたたえ、締めくくるためだけに集まったのです。これってすごいこと。
ラビ(お坊さん)の言葉の中で、「リンダがどのように亡くなったのかではなく、どう生きたかを。そして、リンダが何を得たのかではなく、何を人々に与えたのかを考えましょう。」、というのが印象的でした。
そして20年以来の付き合い、というそのラビですら、「廊下を曲がるとそこに彼女がまだいるような気がする。」と。彼女の突然の死は、私たち地域全体にとっての損失。。。そんな気持ちを、日曜日の朝、他の参列者と共有できたような気がしました。
「なぜこのように彼女の命が突然失われたのか、私たち皆が理解に苦しんでいます。」と、ラビの言葉が私の気持ちを、そして多くの参列者の気持ちを代弁してくれました。
最後に「彼女のハートは働くのをやめてしまったけれど、彼女のハートが与えてくれたものを、私たちは忘れない」そんな言葉を聞いて、ユダヤ教特有の物悲しいお葬式の歌に身を任せながら、ここ数週間の悲しみや喪失感から、ようやく少しだけ解放されたような気分になりました。
出口でリンダ先生のご遺族が、参列者にバスケットに入ったこれを配っていました。ハーシーズキスチョコです。先生の最後の授業にでも出た気分です。。家で待つ娘ちゃんの分と、私の分、二ついただいて帰りました。
最後に在りし日に、子供たちに囲まれるリンダ先生(黒いセーターとズボンの女性)のお写真を。いつ見ても、子供たちに囲まれていた先生でした。娘ちゃんはこんな素晴らしい先生に数ヶ月間だけですが、見ていただいて、本当に幸せだったと思います。
いつ何があるかわからないのが人の人生。毎日家族や周りの人に、愛情や感謝の念を持って、それをきちんと伝えながら生きていかなければいけないな。。とつくづく思った今回の出来事でもありました。
周りに与えるだけ与えて、人生を早足で走り抜けて行ってしまった、愛すべきリンダ先生に合掌。今までありがとうございました。。。どうぞゆっくりと休んでいただきたいと思います。
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長文失礼。。最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。次回からはちゃんとヴェラが出てきます。。
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