普段、何かを判断したり、選んだりするとき、
過去に経験したことをベースにして考えることが多いのではないかと思います。
以前こうだったから、これをする、しないとか、
こういう経験があるから、好き、好きじゃないとか。
それは、"今までの自分"であって、
今の自分やこれからの自分とは違うかもしれないよ、
と自分に声をかけるようにしているのですが、
今朝、目が覚めたときに、ふと
過去のデータで見ているよね。
もっと自由で純粋な…
例えばあなたがあかちゃんだったら、
それ、思うのだろうか?
と心に浮かんだので、そうメモしました。
人はもっと自由に、純粋に、
幸せを胸に生きられるのではないかなあ。
なぜだかいっぱい、いろんなことを考えているけど、
ほとんどが今どうにもならない、未来の不安だったりして、
もったいない人生の時間の使い方をしているなあと、
ときに気づくことがあります。
そんな自分に気付いた時は、
わたしはいつも、
仲良くしよう!
と元気に、かつ、優しく、自分に言っています。笑
未来に対して希望に満ちていてワクワクしている自分と、
逆に不安に感じて歩みを止めようとする自分がいるとき、
両方の自分と対話し、和解し、
仲良くすることを、以前コーチから学びました。
自分としっかりと対話する合言葉が、
わたしにとっては、
仲良くしよう!
という言葉になりました。
この言葉ひとつで、両方の自分を肯定して、
自己対話が始まり、完了します。
魔法みたいな言葉です。
ひらめきのような言葉で目覚めたあと、
久しぶりにInstagramを開いたら、
料理研究家の土井善晴先生の投稿が目に入り…
かつて、テレビでよく見ていた、
おかずのクッキングという番組で土井善晴先生のことを知って、
"一汁一菜でよいという提案"というご本で大変勇気をいただいた、
その土井善晴先生がなぜか突然インスタに現れて。
笑
気になったのでネットでインタビュー記事を読んだら、
こんな言葉に出会いました。
『人間は、誰からも強制されず、
自分の自由な意思でそれをすることが、
幸せなんですね』
これは日々の家庭料理のことについての言葉ですが、
何に対してもそうですね。
いつも、自由、とか、表現、とか、
常に言っているけど、
いちばんは何の刷り込みもない自分という人間の本来の幸せや豊かさが、
本当は何なのかを知ることは、
とても大きなことだと感じています。
そんなことを思うとき、
わたしはいつも父親の、
質素で、実直で、
日々の暮らしの小さな喜びを味わって生きる姿を思い出し、
一見派手さのない、動きのないように見えていたこの暮らしぶりが、
わたしの根底に豊かさとしてあることを感じさせられます。
あるものを工夫して、大事に使っていくことや、
モノの背景、ストーリーに強く惹かれたり、
お部屋が幸せだったり、
毎日の家での料理が楽しかったりするのも、
根底の豊かさを感じているからかもしれないな、と思っています。
自分みたいな人間は、
生きていく力が弱くて、
暮らすことが苦手で生活力に乏しいと、
若い時は思っていたけれど、
例えば生活力とか、家庭的かどうかなど、
そんなことはどうでもいいことで、
その人の根底の幸せ、豊かさがはっきりしていれば、
何も迷うことも比べることもなく生きられるんだと、
日々、いろんなことが教えてくれます。
毎日の暮らしを幸せに行えることが自分の人生の軸であって、
ただそれを今感じて、
喜んで生きていればいいのだと思います。
リビングで手帳タイムをしようとしたら、
あんよで右手をホールドされている図。