2024/06/27(THURSDAY)


ジャイアンツの顔とも言える坂本勇人は今シーズン絶不調に悩んでおり、一昨日のハードオフエコスタジアム新潟の試合終了後に阿部監督から二軍降格を言い渡されました。

坂本勇人の二軍降格はケガ以外では2007年以来となり17年ぶりとなります。


それだけチームの主軸を張ってきた訳ですからやむを得ないかもしれません。


私が坂本勇人を知ったのは、当時、楽天の田中将大が大活躍しており、実は小学生時代に昆陽里タイガースでバッテリーを組んでいた事から坂本勇人に注目するようになりました。


「坂本」と言えば、V6の坂本昌行でしたが、数時間後には「坂本」と言えば、坂本勇人になっていました。


すると、上原浩治の代打で出てくると、センター前ヒットを放ち、ジャイアンツの出世番でもある61を背負っていた事から何かしてくれるのではという期待を持てる選手だなというのが率直な感想でした。


母子家庭で育った坂本勇人は兵庫県伊丹市で中学を卒業すると、光星学院(八戸学院光星)に進学し、春の選抜に出場すると、スライダーにタイミングが合っている事から、ジャイアンツの大森剛スコアラーの目に留まり、高校生ドラフトで堂上直倫の外れ1位でジャイアンツに入団。


小学生時代から阪神ファンだった坂本勇人は入寮時に阪神のカレンダーを持ち寮長を注意を受けるなどといったエピソードもある。


また、ジャイアンツに指名された時は心の中では、「ショート二岡いるやん」と思ったようです。


母親が病で余命宣告をされており、ファームの試合で坂本勇人がスタメン出場すると、母親は車椅子で応援に駆けつけ、坂本勇人は母親の前でホームランを放つと1ヶ月後には一軍のレギュラーに定着すると、残念ながら母親は一軍の坂本勇人を見る事ができずに他界してしまいました。


このエピソードがきっかけで私は坂本勇人のファンになりました。


一軍定着から二岡智宏をサードに追いやり、チームメイトには高橋由伸、阿部慎之助、小笠原道大、ラミレス、谷佳知、李承燁ら豪華なメンバーでラミレスと谷佳知から打撃のアドバイスを受けたと言われております。


当時は、1番ショートの切り込み隊長で2番センター松本哲也で坂本松本コンビが好調で坂本松本が出塁すると小笠原道大、ラミレスに繋ぎ、ジャイアンツは2009年に日ハムを倒し日本一に輝き、坂本勇人は2012年も日本一に輝き、2014年オフにキャプテンに就任したが、2012年の日本一を最後にジャイアンツは日本一から遠ざかっている。


以後、WorldBaseballClassic、プレミア12、東京五輪では侍JAPANに選出され、日の丸を背負っても活躍した。


2020年には通算2000本安打を達成し名球会入りすると、今シーズンは通算安打記録では落合博満さんを抜いたり、通算ツーベース記録では目標である立浪和義に近づくなど大貢献していたが、5番サード坂本勇人はどうも機能しない日々が続いた。


ショートの門脇誠も失策を重ねイップスとなり、ルーキー泉口友汰にショートの座を奪われている。


阿部監督は5番打者が決まらない事と坂本勇人の不調に遂に見切りをつけて、ファームで再調整を言い渡した。


こんな時に、石井琢朗や谷佳知といった打撃コーチが居れば良いのだが、二軍打撃コーチは年下の橋本到である事から桑田二軍監督がアドバイスするものと見られている。


オールスター後には合流してもらいたいが、焦らずにゆっくりファームで再調整し、全盛期の坂本勇人が帰ってくる日を願っています。


最後まで読んで下さり誠にありがとうございます。