福井県 織田と明智と 東尋坊 | 奏の天下統一 戦国トリップ

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ボルテージの天下統一恋の乱LTにはまってしまい、
史実の勉強から城めぐり(希望)
でも最近は規制が厳しいのであんまり記事にはできないです。

はい、タイトルが標語みたいですが。

いつぞやの幸村お箸を購入した時の旅行のお話です。

一度行ってみたかった「東尋坊」

もっと後ろ暗い雰囲気かと思いきや、全然・・・

むしろ絶景!絶景!で清々しい気分。

ただね、柵がないの。あぶないよっと。


海側からみた景色。





そして遠くに見える島に神社があるのですが。



雄島の大湊神社脇に立つ詩碑に明智光秀が詠んだとされる詩が刻まれているとのこと。
(時間の都合で行けませんでした)

 神島鎮祠雅興催 扁舟棹処上瑤台

 蓬瀛休向外尋去 萬里雲遥浪作堆


 神さびた島の宮居のみやびやかな趣きにさそわれ、我は小舟に棹さし立派な仙宮に参ることができた。
 ここに参れば昔いわれた神さまや仙人が住んでいられると伝えられる蓬莱瀛洲の地を尋ねる必要もない。
 なぜなら捜しに行っても萬里の雲路遥かに遠く海も浪が堆高いである。
「だから即ちこの神島がその仙山であるからだ」と雄島のみやびを称えて中国の伝記になぞらえ気高く表現された句
 ~echizen_oshima@n24.net~より


数時間前までイベで光様のスクショ取っていたよ!
まさかこんなところでお会いできるとは♪
  →そして旅の最後もまた光様関連の場所へと導かれました。


通りがかりに立ち寄った三國神社



福井県指定文化財


例祭の三国祭は福井県指定の無形民族文化財に指定されており、
北陸三大祭の一つとされる。
そこで出される山車がまたすごいらしい。
神社にあった写真をパチリ。う~ん・・・うん・・・
いつか幸村様もお願いします・・・






移動して丸岡城。(坂井市)





丸岡城は、現存天守閣では最古の建築様式を持つ平山城で、別名霞ヶ城。
今でも築城時の柱が残っている貴重なお城。
ついつい柱をなでなでしてしまいました。


戦国時代の天正4年(1576)一向一揆の備えとして織田信長の命により
柴田勝家が甥の勝豊に築かせ
ました。

そして、その後領主が変わり6代目「本多成重」の経歴書になんと!!

「成重の軍勢は真田幸村の敵陣を打ち破り---]



なにーーーーー!!
敵陣?まさかの・・・! ゆ、幸村様・・・"(/へ\*)"))
こんなところで名を出されるとは!涙

思わず「幸村がっ・・・」と呟いてしまいました。


城の特徴でもある天守に登る階段が急すぎて、
3歳未満は一人では無理そうでした。
多分ご年配すぎても無理だと思う・・・

正面の山で対する一揆チームが陣を張って集結したと聞いた・・・はず。


規模としてはそれほど大きくないのですが遠くまで見晴らせたので
大規模な物見櫓のような印象でした。


そしてラスト。

何と!お寺の前に明智光秀が寺子屋を作り生活していたという。
「称念寺」




明智軍記という書物にも書かれているそうな。
黒髪伝説、夫婦愛の話など、知らなかった光秀像が明らかに。

★看板画像





お寺の道を一通り歩き、お寺のメインである「新田義貞公」の御墓所を拝見し
旅は終了です。
墓所は写真撮ったら1枚目が真っ黒に映って軽く悲鳴ですよw


最後に。
最近こんな本が話題になっているとか。

「本能寺の変 431年目の真実」 明智憲三郎氏

子孫がご先祖様の真実を暴くべく各所から文献を集めて執筆しているとか。
興味のある方は是非。

私は恋乱イベの光様が怖くて怖くて・・・
大丈夫かなぁ。信さまと仲たがいしないことを祈るよ。