今回はそのうちの、今川義元のお墓と武田信玄軍師、山本勘助のお墓へ行きました。
今川義元公墓所(大聖寺)
今川義元は、永禄3年(1560)、桶狭間の戦いで織田信長に討たれて首を取られました。
今川の家臣たちは首のない胴体だけの義元の遺体を背負い、駿河へ 退却する途中、
大聖寺の境内にひとまず葬り、手水鉢をその上に墓印として置きました。
3年後、義元の嫡子氏真により三周忌が営まれ宝塔が建てられました。
(HPより)
墓所のすぐ目の前には同じ苗字の方が住んでおられ。
もしかしたら今でも見守っているのかもしれません。
戦うことでしか生きられない時代。それぞれの志を思うと、思わず涙が出ました。
山本勘助の墓(長谷寺)
武田信玄の軍師として知られる山本勘助は、この寺の念宗和尚と親交があり、
信玄に召し抱えられたとき遺髪を和尚に託しました。
永禄4年(1561)、勘助 が川中島の合戦で戦死した後、
その死を悼み遺髪を埋めて建立したのが、五輪の墓です。
また、長谷寺には、勘助の守護神であったとされる木造摩利支天尊像も 安置されています。
(HPより)