今朝の空
今日は生理2日目
今月は腰痛から始まり、少し頭痛と、重だるいお腹の痛みを今感じている。
各月で痛みや、生理の症状が違う事、気分も、感じ方も、味覚さえも毎回毎回、違う感覚。
今はこの生理の重ダルさも、アップダウンする心も、肯定的に、自分を作る一つの要素として
感じるようになり、受け入れることが出来るようになってきた。
今まで私の生理に対する想い。
特に30歳超えたあたりからPMSの症状が酷くなって、、、
あー面倒くさい!
毎月やって来る厄介もの。
不機嫌の元。
痛い。
辛い。
イライラ!
シクシク!
メソメソ。
なんなら完全に別人格がいるのでは?と思うほど酷く、ホルモンに影響されまくり
一応の知識としては、女である以上、生理は無くてはならない事だし、とても大切だという事は分かってはいるけど、でも実際今まで自分の生理に感謝したことなんて一度もなかったし、
何ならもう赤ちゃんも産む予定ないから早く上がれば良いのに!
くらいの邪魔者だと思っていた。
でも、昨年末に、自分ともっと繋がりたい!と願い、
ヨニエッグや、プレジャーワンドに出会い、
これまた同時期に、月経カップにも興味を持ち、使い始めることにしたんです。
最初は使い方に慣れるのに時間がかかったけど、使ってすぐに、
カップを使い始めて良かった!と、実感しました。
それは、今までの使い捨てのナプキンやタンポンだと、血はすでに吸収され、
どのくらいの量、どんな感じで出ているのかを全然知らずにいた事。
要は、自分の体の事にいかに無関心だったのかを知った事です。
それに加えて、使い捨ての血のついたナプキンやタンポンを汚物として処理していた事。
もう、ここから間違っていたんじゃない?って、思ったんです。
初めてお風呂場で月経カップを膣から抜き、マジマジと自分の生理の血を手にとって見てみたんです。
体液の混じった、トロンとした赤黒い血を手のひらにのせて、じーっと、じーっと、
温度を感じ、かき混ぜたり、伸ばしたり、匂いを嗅いだり、子供がスライムで遊ぶように、
何分も手の上で、自分から流れ出てきた血を観察しました。
オエ〜汚い!と思われるかもしれませんが、ちょっと口に含んでみたりもしました
さすがに飲むまではしませんでしたが!
私の体から流れた血
その時の私には、自分の体から流れたこの血が、汚いとは思わず、とても神聖なものに思えたのです。
そして自分の体に対する感謝がモクモクモクモクと湧いてきました。
私の体は毎分毎秒 休む事なく働いて、私が生きていくために、心臓を動かし、血を作り、
私を守るために頑張って働いてくれているんだ!
この痛みや、流れる血は、自分自身が今生きている証なんだなって。
あたり前の事だけど、
そんな風に素直に感謝とともに、思えたんです。
そしたら自分から流れてくる血もそうだけど、尿も、排便も全てが愛おしく思えてきて。
何だったらこれら全ては、快楽に繋がる経路だったんだとさえ思ったのです。
(この話は言いたいところから脱線してしまうので、機会があったらまた今度)
そういえば、と、思い出したのが!
ニュージーランドでは出産の時に胎盤をどうしますか?と必ず聞かれます。
1人目の時には何の知識もなく、そのまま廃棄してしまったのですが、
原住民のマオリは、胎盤を部族の土地に埋める風習があり、胎盤を特別神聖なものとしているそうです。他では食べる人もいたり。家の庭に埋めて、そこに木を植えたり。
その時に、こちらではそういう文化があるんだと知りました。
なので2人目はプラセンタのカプセルとティンクチャーを作ってもらい、産後に少し服用してみました。本当のところ栄養的にあるかないかは良く分かっていないのですが、プラセボ効果でも、自分の胎盤を頂くというのはとても良いことに思えました。
そして、これから来るであろう更年期へのお守りとして、今でも冷凍庫に少し保存してあります。
その事↑(胎盤が神聖なものとして扱われていること)を思えば、生理の血だって、
神聖なものとして扱う事もおかしくないよな!って、
思ったんです。
だからそれからの私は、
生理の時期は特に自分を感じる時間として、お風呂の中で、毎回血を手に取り、
血や体の痛みを観察して、自分の身体に感謝を捧げる、神聖な儀式を行っています
そして、まだ更年期がどんなものなのか?よく分からないけど、きちんと自分の身体を感じることが出来れば、仲良く乗り越えていける気がしてる。甘いのかな??